「青春とはやりきれないことの重なる地獄の季節だ」(少年と少女へのノート)

吉本隆明の表現の魅力は、一方では骨太で本質的な論理性なわけですが、もう一方ではその論理性が赤裸々な情動や内向的な感受性を裏面に張りつけていることにあると思います。つまり腹の底からの怒りや、精神を危うくするほどの苦しみ、あるいは率直な愛情や友情の表出が、真実のもつ深さで読者に感じ取れるということです。そこが分からないと吉本が60〜70年代に特に知的な若者に圧倒的な支持を得たことの理由が分からないでしょう。吉本隆明の魅力は人間的な魅力であるわけです。
青春が地獄なら、壮年も老年も相変らず地獄ということになりますが、青春が地獄だと言う場合、吉本が条件と考えていることは以下のことだと思います。
自分とは何者なのか、という追及が青春の特徴です。ある時は自分には全てが可能であるような気がする、翌日には自分には何も可能ではないような気がするというような忙しい変動が青春期ですが、それはまだ青年が自分の資質がなんであるかを体得できないからです。自分に可能なことはこれしか残っていない、という自己資質の底を付いたような体験が、真の出発である。そこまでは親のスネをかじって、体力をもてあまして宙ぶらりんの状態に耐えている。そのやりきれなさが青春です。
誰もが青春期に自己資質を極限まで追求したいという衝動を持つでしょうが、それを強靭に最後まで追及する者は少ないと思います。吉本は自分の敬愛する文学者や思想家宗教者に、その極限まで追求した世界をみているのだと思います。