「独立不屈の精神はこの占有せられた現実を引き裂いてゆく。すべての従属の匂ひを避けよ」(原理の照明)

一般大衆はほんの数十坪の家やマンションを所有するのがせいぜいで、その家を一歩出れば自由に出入りできる空間はありません。巨大な資本と国家が所有する空間の中を虫のように歩いて、仕事をしたり金を預けたり借りたり、食事をしたり買い物をしたり、遊んだりセックスしたりする、それが私達の現実というものです。これは思想の如何を問わず事実として誰もが認めざるをえないものです。
この少数者が占有し支配する空間は、それが正しいと主張する観念によって支えられています。それは法律であり、文化であり、イデオロギーでありという形を取りますが、抽象的に一括すれば観念だということになります。
この観念は膨大な厚みをもって歴史的に堆積していて、誰もがこの不自由はおかしいと胸の奥で感じていても、それを貫こうとするとたちまち身動きできないほどの重量となって個人を押しつぶしてしまうものです。
ここで吉本が独立不屈、従属の匂いを避ける精神と呼んでいるものは、後年「自立」という概念に変わるものです。若年の吉本はマルクスの思想に出会い、一般大衆つまり吉本自身であり私達である存在が、ほんの数十坪の私有家屋の中だけでなく、この世界全体が自由に出入りできる場所になる遥か未来の段階までの、原理的な道筋を構想しようとしています。無名で貧乏でありふれた、25歳のアジアの片隅の若者の頭に宿ったこの途方もない思想的な課題は、彼のその後の人生を決定しました。その徒労に似た刻苦勉励と、内省と闘争の人生の最終の姿を遠くに見ながら、私は吉本隆明と一度も言葉を交わしたことのない一愛読者ですが、その貴重さを宝石のように感ぜずにはおれません。