「薄弱な精神は現実の前にすくんでしまふ。このすくみは、何処から来るか。劣性意識」(下町)

これだけの言葉では分かりにくいですが、この言葉の背景には吉本の、個人の心と時代との関係についての考え方が存在しています。それは重要な考え方です。
私達は通常、個人の生活から生まれる悩みは個人の悩みとして考え、社会については新聞だの評論だのから学んだ知識や情報をもとに考えて、その二つは別々のものと見なしていると思います。しかしこれこそ個人が社会から隔てられている証です。
個人もまた社会の中、時代の中にいるわけですから、社会や時代は個人の生活に影響を与え、それが個人の心にも影響を与えていることは間違いないことです。
しかし自分自身のドロドロした心の悩みと、今生きている社会の関連ということを理解するのは大変難しいことです。吉本は、その課題を自分自身の感性や情動を、つまり気持ちを、コツコツとノートをつけながら論理化することをねばり強く行うことで成し遂げようとしました。そして個人の感性の論理化によって、社会に対する論理を感性化しようとしたと思います。もっと分かりやすく言うと、欧米からの借り物でない、大衆の生活のリアルな実態が込められていることが、論理的にも分かるし、感覚的にも分かる社会思想を築こうとしたわけです。
この課題のために吉本は一方では詩人であり、一方では批評家、あるいは思想家であるという両極端にわたる仕事をしていきました。
ポルソナーレも、個人の心の悩みを論理的に解こうとします。論理化するとは普遍化することです。一人ぼっちの内向的な悩みを、誰にとっても共通の悩み、つまりは時代の悩みという場所まで連れ出そうとします。その普遍化によって、個人の悩みは論理や学問や論議の対象として、大勢で考え解決を目指せる問題になります。カウンセリングの指示性ということは、そういう論理普遍性へ向かう方向を指示するということだと理解しています。そうしなければ、個人は悩みに一人で押しつぶされてしまうからです。吉本が行ったのも、それと同じことです。ただ初期ノートの時期の吉本は、自身の悩みを政治体制や世界経済といった社会問題の中に普遍化しようとしたと思います。しかし、次第に吉本の中に、個人の悩みを社会問題の中に普遍化しきれない問題としての、心が形成される根源的な領域の問題がテーマとして膨らんでいきます。その胎児期から始まる心の独自の領域の論理化の達成が「心的現象論」という仕事です。
現実の前にすくんでしまう薄弱な精神、それは具体的には吉本の生活の小さな出来事、例えば失業とか周囲からの孤立とか失恋とかであると思います。しかし、その小さな出来事に悩む自分ひとりの悩みを、戦後の現実と日本人の敗戦によって強いられた劣勢意識、あるいは貧しさによって強いられた劣勢意識(劣等感)というところまで、普遍化したいという願望があるのです。その普遍化の過程を、いかにウソのない借り物でない、血の通った過程として辿ることができるか。それが敗戦によって、それまでの自分の個人的な信念や感受性を叩き壊され抜け殻のようになった自身を救う、唯一の道に思えたのだと思います。
個人としての自分自身の小さな、みじめな生活の喜怒哀楽をすべてありのままに隠さずごまかさずに保存しながら、世界規模の思想を作ろうという、若き吉本の器量の大きな出発の姿がここにあります。