「論理は、その極北において個性と出遭ふ。苦しいがそこまで行かう。」(原理の照明)

この言葉は「待ってました!大統領」という感じです。私が一番印象に残った、ということは読後30年くらい忘れなかった言葉です。吉本の初期を一つだけの言葉で表せ、と言われたらこれを挙げるでしょう。
左脳で覚えた言葉がイメージとして右脳に浮かぶ、というのがポルソナーレの教えるところですが、それは関係性として覚えたものが、了解性として納得される、ということと同じだと思います。ナントカ性と書くと、なじみがないから分かりにくいでしょうが、要は、分かった気がする、というのと、腹の底から分かったというのは違うということです。優等生がこまっしゃくれたことを言って分かったつもりになることと、苦労を重ねてしわの増えた人間が同じことを言った時の、分かり具合の違いですよ。
腹の底から分かる、というのは腹の底とは何かということになります。腹の底とは全身に記憶された、胎児期、幼児期、少年期、青年期、おっさん期、じいさん期、といったものの蓄積です。積もりに積もった人生の重みです。
そして腹の底は、日本人であれば日本の歴史、日本の生活、日本のみじめさ、日本の面白さ、といったものを含んでいます。そしてさらに底には、個人としてのその人の人生を深い沼のようにたたえています。
論理、特に近代社会の論理は西欧のものです。その論理がなければ近代以降の社会は解けない。しかし、その論理が腹の底から納得される時がなければ、一般大衆にとって、論理はただの官僚と学者の思想にすぎません。