「そこで僕は考へる。何が僕にとって成長であったらうと」(春の嵐)

「そこで」というのはどこでなのかを分かるために、この言葉の前に書かれた文章を紹介します。
「風は今日、冷たい。雲のありさまも乱れてゐる。
僕は少年の時、こんな日何をしてゐただらう。街の片隅で僕ははっきりと幼い孤独を思い起こすことが出来る。執念のある世界のやうに少年たちの間では事件があった。その中で身を処すときの苦痛は、今と少しも変わったものではなかった」
時代を感じさせる旧かな使いですが、要するに少年時代に仲間たちとの間で苦しんだような気持ちと、今青年として社会生活で苦しんでいる気持ちとは少しも変わらない。だったら何が成長なんだろう?ということを言っています。
こういう文章を書いた時期、吉本の考えの中ではマルクスの思想があり、生活としては労働組合運動をやっていたのではないかと思います。
私が驚くのは、マルクスのものであれ誰のものであれ、ある社会思想を持った時に、それを自分の少年時代の記憶に論理として結び付けようとしていることです。吉本の論理化、思想化の徹底性は自らの生涯の隅々に及んでいます。
このように個人が個人の生涯を徹底的に点検するようなことは文学者の行うことです。吉本は文学の方法を世界的な思想の構築の方法につなげているのだと思います。文学の論理化は批評ですが、吉本は文学の批評家として極度の徹底性をもっているという言い方をすることもできます。
少年の時から、仲良く遊んでいた仲間であっても、何かの事件によって自分ひとりが孤立していくという感覚があった。そして青年になった今も、労組の活動の中でたった一人で最終的には孤立する、あるいは孤立を選ぶということになる。まるで変わっていない気がする。それは何故だろう。自分の心性に原因があるのか、自分の思想に原因があるのか、それとも現実の構造の中に個人を孤立させるものがあるのか?というような問いがこの時期の吉本の中にあるのだと思います。
では何が成長かと言えば、そのような現実の秩序の構造や、個の心性の構造が、苦しみながら次第に分かってきたということにあるのだということになると思います。何ものかに強いられて集団の中、社会の中で同じような結果に至るならば、その強いる何ものかを意識しなければ、強いられる繰り返しは変わらない。こうして自分自身のなまなましい生涯を解剖しながら、強いるものとしての現実の構造を解き明かしていこうとしています。吉本の思想に対して感じる、ウソのなさというものは、このようにまず自分自身を切り刻んでから社会や他者を斬る、という方法のもたらすものだと思います。