「そして愛はた易く憎悪に変わる。僕は愛してゐる者が遠ざかつていったのを知ってゐる。人間は誰もそうなのだが、遠ざかるとき一様に残酷で冷淡なものである。その時憎悪を与えずに遠ざかる者は稀だ」(夕ぐれと夜との独白)

ここで「遠ざかっていった愛している者」がどういう人を指しているか、よく分かりません。恋人を指しているのか、友人・知人を指しているのか。両方なのか分からない。おそらく恋人を指しているのではなかろうと思います。恋人が去るときには、たぶん吉本はこのような分析的なことは書かない。分析的に考えるとしても書き留めることはしないような気がします。書くということは心の内を外に表すことですが、外に表すことは心を限定してしまう側面があります。また書かれたことが反対に心に影響を与えます。書くということは真実に向かって追求することでしょうが、書くということが真実を限定し変質させる側面がある。このことに敏感であると、書かない、言わない、つまり黙る、沈黙するということになります。沈黙によって真実を守るわけです。
かって吉本は「恋愛は論じるものではなく、するものだと思います」という言い方をしていました。恋愛あるいは夫婦のようなむき出しの全人間性が互いを欲しあうような世界は、あるいはどちらかが欲して、それがかなわないような失愛の世界は、いわばそれを「生きる」というものであり、距離を置いた場所から眺めることはできません。そこでは沈黙の中に真実のニュアンスが隠されていて、それは「察する」ということでしか感知できない。つまり沈黙も広い意味での言語であり、沈黙の言語的意味を極めて重要なものと考える。それが吉本の言語論の優れた視点です。
となるとこの文章は吉本の周囲にいて、かって親密であった人たち、仲間意識を抱いていた人たちが遠ざかったということを言っているのだと思います。吉本は知識人とは多くの論争をし、多くの決別をしてきました。盟友といってもいいほどの思想的な連帯感を抱き、人間的にも親密であった詩人の鮎川信夫とさえ鮎川の晩年に決別しています。しかしそうした知識人や文化人との決別は物書きとしてプロになった後年のことで、ここで若き吉本が述べている決別は労働組合運動をする中での職場の人たちとの精神的な決別のような、一般大衆の仲での大衆の一員としての自分と周囲との決別とその予感を書いているのだと思います。そしてその決別の方が知識人との決別より重いのです。
「生まれ、婚姻し、子を生み、育て、老いた無数のひとたちを畏れよう」と吉本が思う人たちの中で孤立していく。その時にかっては仲間意識を持ち、心を開いていた人たちが急に冷淡になり、憎しみをこめた視線を送って去っていく。それは吉本が溶け込みたいと願う世界から拒絶されることです。文化人の世界、文壇とか大学とか芸術家のサークルとか、そういう知識の世界での孤立は耐えられても、大衆の中での孤立は吉本にとってとても苦しいものであったと思います。吉本が耐えたのは一人で耐えるという選択によってなのだと思います。大衆の中での孤立を、集団の一員として防ぐのではなく、あくまでも一個人としての孤立として受け止めるというのが吉本の生涯変わらない姿勢です。ひとりで受け止めるがゆえに、孤立し憎まれてそれほどまでにして貫こうとしてしまうものは何か、という自問自答が繰り返されます。そこに吉本の社会思想の根底があり、いわば吉本の膨大な論考の背景の沈黙の深さがあります。