「夕ぐれが来た。僕は、生まれ、婚姻し、子を産み、育て、老いたる無数のひとたちを畏れよう。僕がいちばん畏敬するひとたちだ。どうかあのひとたちの貧しい食卓、金銭や生活や嫉とやのあらそひ。呑気な息子の鼻歌。そんな夕ぐれに幸ひがあるように。」(風の章)

日暮里駅のそばの夕焼けだんだん(だんだんは階段)と呼ばれる高台から谷中千駄木あたりの下町を眺めると低い家並みが広がっていくのが見渡せます。これを見て若い吉本は住まいをここいらにしようと決めたそうです。この文章はそうした光景をイメージして書かれていると思います。それはまた吉本が育った佃島の下町の記憶に繋がっています。
夕暮れの下町の光景には吉本の飾り気のない心の奥からの情感がこもっていますが、同時にこの文章は戦後思想における最良の社会思想でもあります。一般大衆という概念は政治においても芸術においても重要なものですが、吉本は「大衆の原像」という概念を独自に創造しました。原像とは原型となるイメージということです。大衆の具体的なあり様は様々です。サラリーマンもいれば商店主もいる。都会人もいれば農民もいる。しかしその様々な大衆の人生、生活の底に共通するものを取り出すと、この文章に表現されたようなイメージが得られます。ここでは貧しい食卓という言葉が使われていますが、別に貧しくなくてもいいわけです。生まれ、婚姻し、子を産み、育て、子にそむかれて、老いて死んでゆく。
そういう悲喜こもごもの大衆の原型的なイメージを「大衆の原像」と名づけています。なぜ言葉による定義ではなくイメージなのかと言えば、そこにある悲喜こもごもの、喜びも悲しみも幾歳月といったハートの部分を保存するためです。大衆というものを大衆のハートのまま思想の中に保存しようとしているのです。
この文章に加えるとすると、生涯を自分の生活圏から出ることをせず、毎日毎日自分の小さな生活圏、例えば魚屋であれば魚を売ることを繰り返し、その生活の外に行動としても思考としても出ることの少ない、そういう要素も「大衆の原像」の重要なポイントです。そしてこのような原像に吉本は人間の社会性における最大の価値を置く、という思想を築いていきました。社会や人間を考える時に、何に価値を収斂させるのか、それを深く自らに問い詰めた思考が「思想」の名に値します。それがあやふやなもの、それをはなから問わないものはただの知識です。
この吉本の大衆に関する思想は、若い時に読んだ私には衝撃でした。私も若い頃は多くの若者と同じように、芸術家や大知識人、革命家、スポーツや芸能にすぐれた有名な人間などに憧れていました。それにひきかえ、満員電車に揺られ、ネクタイをしめて、あるいは小さな店を守り、来る日も来る日も変わらない生活を繰り返して老いていく人生を退屈でカッコ悪いもの、できれば避けていきたいものと思っていました。そういう人生が日常の積み重ねだとすれば、日常よりも非日常という瞬間を、輝いたステキなものと感じていました。そういうありふれた感覚に水をぶっかけたのが吉本のこうした思想です。
しかし同時に私は吉本の大衆の思想に、今まで考えたこともない深さから涌いてくる真実があることを直感していました。吉本の大衆の概念は、知識人と大衆というようにある層、または集団としての大衆と考えることもできますが、もっと原理的な部分では具体的な階層ではなくて、あらゆる人間の中にある大衆性という基底を指しています。だから知識人、文化人、政治家などにも大衆性はあります。またいわゆる大衆とくくられる人々の中にも知識、文化、政治に対する、つまり自らの生活圏の外側にある観念に対する関心や嗜好はあるでしょう。その大衆性の小さいものを知識人と呼び、大きいものをいわゆる一般大衆と呼んでいると言ってもよいわけです。
この大衆性という基底は、言い換えれば人間の社会性にとっての自然です。どのような生き方をしようと最小限でも人間につきまとう自然性であると言えます。
そして自然であるがゆえに、普遍性として個々の人間を人類史につなぐものでもあります。遥かいにしえの昔から、人間はこうした繰り返しを生きてきたという自覚をもたらすものです。「この繰り返しの怖ろしさに目覚めることだけが、思想にとって何ものかだ」という言い方を吉本はしています。吉本の膨大な政治や芸術に対しての思想の仕事に根底にあるのは「大衆の原像」という考え方、価値観であって、それは現在の老いた吉本にまで一貫していると思います。そしてここが多くの他の知識人や芸術家、政治家と吉本を決別させた分岐点でもあります。