「僕のいちばん軽蔑(けいべつ)してゐるひとたち。学者やおあつらえ向きの芸術家や賑やかで饒舌(じょうぜつ)な権威者たち。どうかこんな夕ぐれは君たちの胸くその悪いお喋言(おしゃべり)をやめてくれるように」(風の章)

これはゼミの前半で取上げた文章の続きの部分です。知識人、芸術家、権威者とは政治家とかいわゆるオピニオンリーダーと言われるような人たちのことを指しているのだと思います。吉本の若い頃に現存していたそうした人々への怒りがこもっている文章です。その人たちは共通して観念に関わる仕事をしているから、おしゃべり、つまり文章を発表し発言をするわけです。なぜ彼らのおしゃべりは胸くそが悪いのか。それは彼らが大衆性からもっとも離れた観念の領域に棲み、そして大衆性から切り離れた文壇、論壇、サロン、党派、といった集団を作り、そして大衆から切り離れていることが心の底では優越感であり、逆に言えば大衆に対する軽蔑の上で愉しそうにえらそうに発言しているからです。
ここには原理的な考察としても、現象としての多くの知識人や文化人の傾向としても鋭い真実があると思います。吉本の大衆に対しての原理的な考えは、同時に知識、芸術、政治といった観念の領域に対する原理的な考えに繋がっています。
こうした観念の領域をまとめて「知識」と呼ぶとすると、吉本には知識というのは人間にとっての自然過程に過ぎないという考え方があります。逆に言えば、知識自体はほっておいても人間がたどるものであるから、人間にとっての価値にはなりえないということです。そして知識はその発生を、種から茎や花が生じるように、人間の根源的な自然である大衆性の中に持っていると考えます。つまり大衆の原像が種であり、知識はそこから自然過程として生じた茎や蔓のようなものです。
だとすると知識にとって価値とは何か。それは知識が自分の生まれでた種を自覚すること、大衆の原像をたえず知識の中に繰り込むことだと吉本は考えます。知識が豊富化し高度化し、それに大きく関わる者ほど芸術の大家や大知識人になる。しかしそのこと自体に価値はない。価値はその時代の知識の先端に達したのちに、あるいは達する過程の中で「大衆の原像」をどう繰り込んだか、という形で問われる。この課題を「行き道、帰り道」などと呼ぶこともあります。そして親鸞は帰り道を辿った稀な知識のあり方として吉本の生涯の関心を惹きつけた人物です。

自然というのは海や山のことだけを指しているわけではありません。自然というのは人間が社会や観念を生み出していく必然性の根源にある何かです。そして原理的な考察というものは、こうした自然、つまり必然性の根源を問い詰めていく作業でしょう。すると自然の底に自然が、必然性の底に必然性が顕れます。そこまで問い詰めたものが大衆の原像という思想です。それに対する自覚のあり方が人間にとっての観念の一番重要なものだという考え方あり、そうしなければ夕焼けの下に暮らしている現実の魚屋とかサラリーマンとかの人々は、そして自分自身は、自分達を疎外した観念と、それを得意げに振り回す連中に鼻面を引き回されて、戦争中がそうだったように戦後も生きるしかない。そういう怒りが、胸くその悪いおしゃべりに向かってぶつけられているわけです。