「他人を非難することは出来る。だが、自分を非難し罰するのは自分だけであることは知ってゐる必要がある。謙譲といふことはここからしか生まれない」(少年と少女へのノート)

これに似た言葉で、吉本がよく引用する太宰治の言葉があります。それは「人は人に影響を与えることも、与えられることもできない」という言葉です。
さらにつながりのある言葉で、吉本がよく引用する親鸞の言葉があります。本がないので正確な引用はできませんが、弥陀の御本願(一切衆生を往生させるという誓い)もよくよく考えれば親鸞ただ一人のためのものである、という意味の言葉です。弥陀の本願について多くを語ってきたが、よくよく考えれば自分ただ一人にだけ関係のあることで、他の人に当てはまるかどうかは分からない、と浄土真宗の開祖自身が言っているわけです。これはびっくりするような言葉と言えます。また信者の人たちに向かって言ったとされる言葉に「念仏は地獄に落ちるわざであるのか、浄土に生まれ変わるわざであるのか、私にはかいもく分かりません。後はただ皆様が自由に判断してください」というスゴイのがあります。自由に判断してくださいというのは、親鸞の言葉では「面々のお計らいなり」というのですが、この宗派を作ることを放り投げてしまったような言葉に吉本は仏教史の中でも飛びぬけた深さを読んでいます。
平たく言えば、価値観というのは一人一人違うということになります。価値観、あるいは倫理というものは、その人間が自分自身の生きてきた道を逆にたどるような精神のトンネルをくぐって発見するものです。人に与えてもらうものではなく、自らが掴むものです。しかし掴んだとたんに、その価値観、倫理は他人に影響を与えるものではないことが自覚されます。なぜなら他人もまた他人自身が掴まない限り倫理の真の姿が現れないからです。
カウンセリングもまた、その人に倫理や価値観自体を刷り込むのではなく、その人自らが自分自身に向き合えるような方法を示すだけなのだと思います。精神障害は認知の誤りだという考えがありますが、本当は倫理の問題なのだと思います。そして倫理は最後は自分ひとりで掴むしかないことを知っているカウンセリングが、親鸞の言葉に通ずるカウンセリングではないかと思います。