「僕は常に孤立した少数者を信ずる」(エリアンの感想の断片)

エリアンというのは若い頃の吉本の詩の中で、吉本自身を託した主人公の呼び名です。孤立した少数者を信じるというのは普遍的に正しいわけではありません。孤立した少数者が間違っていることもあれば、多くの人の選択が正しいこともありえます。しかしここで吉本(エリアン)が書いているのは、敗戦の直後の世相における心情であろうと思います。敗戦によって、戦争中に言っていたことを簡単に覆して平和や民主主義を唱える者たち、戦争中に書いていたこと、していたことを隠してあたかも戦争に抵抗してきたかのように装う者たち、黙って権力の交代に従っていく者たち、そうしたみじめでインチキな戦後の社会の中で、吉本はいかに独りで真実を言い、行うものが少ないかを身に刻んで学んだのだと思います。それは現在の社会でも同じだと思います。現在のような静かに激変の進行する転換期のキツイ社会では、かっての敗戦期と同じように独りで立てる者はどんどん減っていきます。モノを言うにも集団の中にいないと怖くて言えない者、集団から離れるようなことは唇が震えて言えない者が権威をかさにきてメディアの中で大口を叩きます。孤立した少数者が正しいとは限りませんが、信じるに足る人はつねに孤立していると実感します。孤立はそれに耐えるものを自身の沈黙に向かわせます。そこに集団に埋没した者には分からない苦しみがあります。また精神を病ませる危険も存在します。しかしその沈黙の中にしか真の連帯の可能性はないわけです。その沈黙の、察するしかない世界の中に、大衆や日常というものの深い価値を見出していったのが吉本の生き方です。