夕ぐれがくると僕は理性のかげにかくれてゐる情感を放した。情感はひそかに理性の手をはなれて自らの影を拡大するやうだ。僕は鋳型をうちこはして融解するようにすべての規律をも放すのだ。《一九五○・四・三○》(〈夕ぐれと夜との言葉〉)

大庭みなことの対談で、吉本は否定に否定を繰り返した帰り道で他者を許すことができなくてはならないというようなことを言っています。大庭みなこが、その言葉は胸に刺さりますね、と言っていたように私のこころにも刺さります。夕暮れになると吉本は情感を…

わたしは、しかたなしに孤独な希望を刻みつけなければならぬ。(第二詩集の序詞(草案))

しかたなしにということは、本当は共同でもつ希望があればいいということです。吉本がこの文章を書いた敗戦後7年目という時期の共同の希望、日本人としての希望といえばアメリカに追従して戦後の復興を成し遂げて豊かな生活をしようということだったでしょ…

ぼくは偶然に出遭ふことがらのなかに宿命の影をみつけ出す。(第二詩集の序詞(草案))

偶然が必然なんだという矛盾を語っています。勝新太郎が「偶然完全」という言葉をよく言っていたらしいです。勝が監督をやるときに台本通りにやらせない。覚えてきた台本なんて死んだものだと言って。その場で出てきた言葉とか、その場で思いついて筋書を編…

人類は未だ若い。到るところに神々の古ぼけた顔がのぞいてゐる。(エリアンの感想の断片)

宗教性を払いのけたように見せているイデオロギー集団のなかにも理念が宗教的であるものが至るところにあるということを言っているんだと思います。吉本は現在の段階では、宗教だけでなくイデオロギーにも宗教性があって、どちらも普遍的な真理には到達しえ…

批評はつねに内と外からなされ得る。内からなされるときは沈黙を以てするより外ない。(エリアンの感想の断片)

沈黙をもってする、というのは書き言葉になる以前の、生活のなかに存在する感情とか体験とか感覚とか痛みとか喜びとかそういうものを通過した言葉をもってする、という意味なんだと思います。インテリぶるなということです。それは普遍的なものから遠ざかる…

深い静寂について、又茫漠として意識の遠くにある海について、あきらかに今沈まうとしてゐる人類の寂しい夕ぐれについて、あの不気味な地平線の色について、誰が僕のとほりに考へるか。(夕ぐれと夜との独白(一九五○年Ⅰ))

こういう西欧の翻訳された文学に影響された比喩を使って書くことは初期ノートの特色ですが、それは若いからだと思います。「今沈もうとしている人類の寂しい夕ぐれ」なんて照れくさい比喩はだんだん吉本は使わなくなります。そういう比喩を自分に許すときに…

風景は僕の精神のとほりに歪んでゐる。虚無は霧のやうに拡がつて、樹木は棒杭のやうに林立してゐる。そのなかに人々が嗤(わら)ひのやうに移動してゐた。(夕ぐれと夜との独白(一九五○年Ⅰ))

イキっとんなあ。 おまけありません。

〈思考の体操の基本的な型について〉 第二型 抽象されたものを更に抽象化する演習 第三型 感情を論理化する演習 論理を感情に再現する演習(〈思考の体操の基本的な型について〉)

初期ノートのこの部分は以前にも解説したと思いますが、若い吉本が論理というものにいかに凝っていたかがわかる部分です。スポーツに凝った人がゲームだけではなく、素振りをしたり握力を鍛えたりしようとするように、吉本は論理的に現実の問題を考えるだけ…

一の体制のなかにある人間はあたかも何ものかのうへに乗つてゐる心理を伴ふもので、これが体制といふものの心理的な基礎である。疎外された階級は動揺する心理をさけることが出来ないのであつて、これは少年たちの世界においてすら存在するものである。(〈思考の体操の基本的な型について〉)

「知識」の同時代の範囲を超えることを目指して、自由に感じ考える。それを失うと人類が長い間疑問なくおさまっていた共同体への受動性のなかに退行する。退行は何者かのうへに乗っている安心感といってもいいし、自由を求めることは動揺することといっても…

現在僕の周囲を覆つてゐる形ない暗黒が、若し僕の自由を覆つてゐるものであるとするならば、それは歴史的な現実が、形而上学的乃至は心理学的な形象を以て現はれてゐるものであると考へざるを得ない。僕がそれを脱出することは、現実を変革する実践によつて行はれるであらうが、それは同時に僕の生理を変革することに同型である。(原理の照明)

「形ない暗黒」とか、そういう文学的な表現にとらわれないで考えれば、自分の実生活、家族とか学校とか会社とか地域とかの自分が生きている小さな生活領域に起こっていることを、歴史的現実という普遍的なものに結びつけて吉本は考えているということです。…

真空の時期といふものが生涯のうちにあるとするなら、それは僕にとつて現在である。(原理の照明)

真空の時期というのは、現実に向かうことができずに観念のなかに閉じこもっている時期ということなんじゃないでしょうか。「ひきこもり」についての後年の吉本の考えに沿っていえば、それは吉本の「ひきこもり」の時期だと思います。吉本は「ひきこもり」を…

〈わしの話は誰も聴くものがゐない。畏ろしさを思ふのかも知れない。〉 (〈老人と少女のゐた説話〉の構想Ⅰ)

これは吉本が若いころに書いた散文詩「エリアンの手記と詩」の構想を練っている時の文章なんだと思いますこの詩は主人公のエリアンに吉本自身が仮託された物語になっています。どこの国とも知れない国籍不明の舞台を設定した、吉本の数少ないフィクションで…

僕は夕ぐれと共にひとつの歌を沈める。(〈夕ぐれと夜の言葉〉)

よくわかりませんが、吉本がいっている「歌」というのは、吉本の心になかだけに秘められた「肯定」のイメージなんだと思います。それは現実のなかで歌われることができないんでしょう。しかし「歌」がないわけではない。それは「25時」のなかで、誰に伝わる…

悲しい僕らの国の現実。或る者はアメリカ式の感覚攪拌の音楽によつて踊り、或る者はソヴイエト・ロシヤ式群舞踊によつて踊つてゐる。しかし僕の魂は如何なる形式でも舞踏しなくなつてゐる。僕の関心は正しく悲劇的と呼ぶべきものであらうか、この国ではいつも悲惨な運命を負はされざるを得ないものだ。(中世との共在)

音楽というのは音楽そのものを指していると同時に、比喩としてアメリカのイデオロギー、ソ連のイデオロギーのことを指していると思います。アメリカから民主主義として押し付けられるものも、ソ連から社会主義として押し付けられるものにも僕の魂は踊れない…

もの判りの悪い僕の魂のために、ひそかに思考の道をつけてやること。(〈夕ぐれと夜の言葉〉)

これは解説にしようがないですね。もの判りが悪いというのは、どんな音楽にも踊れないという比喩にあるように否定に囚われた魂のことでしょう。それをなんとかするには思考すしかない。わかるということが否定せざるをえない現実を見渡すことのできる唯一の…

人間は有史以来、触れないで済ませた盲点を有つてゐる。如何なる天才も逃してきた盲点がある。僕の好奇心はこれを解かうとするが解き得たためしがない。だが何日のまにかそれを体得してゐると言ふ具合だ。しまつたと思ふが、既に体得されたものは解くことは容易だが、藻抜けの殻のやうに説明に終る。決して好奇心を動かすことはない。(原理の照明)

有史以来人類が触れないで済ませた盲点とは何でしょう。書いてないのでわからないわけですが、その盲点は言葉で解明しようとしてもできないのに、いつのまにか体得している。なんとなくわかったような感じがするということでしょう。このなぞなぞのようなも…

我々は虚無において神への上昇も現実への下降も許されない。(〈虚無について〉)

吉本にとっての、というか日本人にとっての戦時中の神は天皇だったわけですが、その天皇へ戦後に再び上昇する、つまり信仰することはできなかったわけです。現実に下降しようとしても、その現実に吉本が拒絶するもの、否定するものがうごめいていれば、現実…

人類が宗教を否定してゆく過程は、とりもなほさず人類が被支配者たる自らの位置を否定してゆく過程である。同時に、人間精神が宗教性から離脱してゆく過程は、とりもなほさず人間精神の全き自由と独立への過程に外ならない。斯くて僕たちは内的規定と外的規定とを共に神及び神権政治の排滅の方向につきやぶりながらゆかねばならない。(エリアンの感想の断片)

宗教から法が生まれ、法から国家が生まれるというのがマルクスの考察だと思います。そういう意味では宗教が否定され、より現実社会に接した法や国家が成立する過程は人類が主体性を獲得していく過程だといえると思います。しかしそれだけで事足れりとするな…

人類は未だ若い。到るところに神々の古ぼけた顔がのぞいてゐる。(エリアンの感想の断片)

吉本は宗教も知やイデオロギーも信仰のなかに含めていると思います。つまりその両方があるということが、どちらもの真実性に不十分さがあることを意味しているということだと思います。真実をもとめてあらゆる神々の古ぼけた顔を破壊して、そのあとにきっと…

ひとは女性たちが建築の底を歩むのを視たことがあるだらうか。その如何にも不調和な感じを覚えてゐるだらうか。女性は視覚的実在であるのに反し、近代の建築群が抽象的実在であるためである。又僕は、濠と丸の内街の中間にある路を馬車が通るのを視たことがあつたが、それは如何にも不調和なものに感ぜられた。決して馬車が前時代的であるからではなく、馬が視覚的実在であるからだと僕には思はれた。(〈建築についてのノート〉)

初期ノートの別の個所に「僕は眼を持たない。眼なくして可能な芸術。それは批評だ」と書いてあります。批評というものは論理性であり、抽象性であり、観念です。目で見るとか手で触れるという五感覚でとらえた対象を観念の内部で抽象化していくことは、抽象…

建築の間を歩むとき、精神は均衡と垂直性とを恢復する。(〈建築についてのノート〉)

山本哲士という学者がインタビューした吉本の「思想の機軸とわが軌跡」「思想を読む 世界を読む」という分厚い本を読んでみました。山本哲士がしきりに述べていることがあって、それは吉本の思想を理解するということより、吉本とともにこの世界を探求するこ…

或日私の家を訪れた女の人は、随分お喋りであつた。ほゝけたやうな私の顔を見て、何かしきりにお世辞を言つた。もう四十年以上もこの世に生活してゐて、私を軽んじたやうな眼付きをして眠つたやうな美言を吐いた人よ。私は何も言はないけれど、私を心のどこかで馬鹿にしてゐる人が、この世に絶えない間は、私は生甲斐があると思つた。(無方針、○女の人)

この文章は吉本が米沢工業高校時代に友人たちと作った同人雑誌に載せたものだそうで、1943年に書いたものだというからまだ19歳くらいでしょう。吉本が紛失したその同人誌を川上春雄という人が根気よく探し出して「初期ノート」を編集したということで…

「彼奴は利己主義だ」などと他人を非難する声があつたとする。この場合本当の利己主義は非難する側にあることを私は殆ど請合つてもよい。よくそんな非難をするくせのある人は、勤労奉仕をする前に、坐禅でも組むべきだと私は思つてゐる。(無方針、○利己主義)

これも19歳の若造の吉本の文章ですね。勤労奉仕という言葉に戦争中の風俗があらわれています。人を利己主義でもいいし、不道徳でもいいし、卑怯者でもいいけど、責める人はあんたのほうが利己主義なんじゃないの、ということを言っています。そういう人は…

我々が存在から普遍性を抽出することは正当であるが、その普遍性は何ら有用なものではなくて、唯存在の確認といふ意味を持ち得るのみであると思はれたのである。これは言はば、論理に心理性を持たせるための基礎的な確信であつたと言へる。(〈老人と少女のゐる説話〉Ⅵ)

有用なものではない普遍性というのは、言い換えれば「無償」ということだと思います。「有用性」は何かの役に立つこと、「無償性」はなんの役にも立たないことです。「普遍性」というのは世界中の誰でも納得する正しさです。自然を相手にしても社会を相手に…

夕暗が訪れてきた。台場に二つ、O海岸に数個、船のマストや腹に、灯がつきだした。僕の意想は徐々に暗さを加へてきた。(〈老人と少女のゐる説話〉Ⅵ)

これは吉本の過ごした佃島のあたりの光景でしょう。海があって、夕暮れがくる。誰にもふるさとがあって、その情景がこころの奥のイメージを決定づけているといえるんでしょう。わたしは文京区の山の手と下町の中間のような町に育ち、文京区特有の東大から漂…

思考の抽象作用――その苦痛……。斯くて建築群の間には、具象的実在である街路樹が植えられる。これは明らかに和らぎの作用であらう。(〈建築についてのノート〉)

建築というものは抽象的なものだということでしょうね。人類の最初の頃は、自然のなかで寝起きしていたんだと思います。穴倉とか樹の上とか。それがしだいに自然を加工した板とか柱とかで家を作ることになるんでしょう。もうそこには自然そのものから切り離…

常緑樹は建築群の底ではふさはしくない。何故なら其処で季節を感ずるのは、唯風と空の気配と街路樹とからだけであるから。(〈建築についてのノート〉)

常緑樹というのはいつもはっぱをつけている樹でしょうね。それでは季節を感じにくいから、冬には枯れて、春には芽をだすような樹がふさわしいと、なかなか細かいことを言っています。たぶんこのころ思考の抽象作用のなかに埋没していた吉本にとって、自然と…

僕はすでに詩において学ぶべき先達を必要としなくなつた。僕は充分ひとりで歩ける程成長した。あとは絶対と僕との対決がいつもあるだけだ。(断想Ⅵ)

これはずいぶん思いあがったことを言っちゃったなという感じですね。しかしこういうことを書く理由はわかる気がします。吉本に限りませんが、詩を書こうという人は最初は模倣から始めるんですね。熱心は人はそれこそ自分の尊敬する先達である詩人の詩を書き…

寂寥(せきりょう)は欠如感覚ではない。寂寥は過剰感覚である。(〈寂寥についての註〉)

寂寥といわずに「孤独感」といえば、孤独感は社会に対する強い批判意識からやってくるといえます。批判意識の薄いやつは社会のなかを泳ぐことができます。やあやあ、どうもどうもといいながら。しかし批判意識があればつきあう相手を選ぶし、めんどくさい、…

僕は思考の演習がもたらす効果を知つてゐるわけではなく、そうすることによつて効果を実験し得ると考へてゐるのみである。如何なる作家も作品形成における秘事を明らかにしたことはなく、唯彼等は結果だけを提示したにすぎない。一つの結果である作品から、一つの過程である生成の秘事を発見することは容易ではない。(断想Ⅱ)

吉本がいう思考の演習というのは、たとえば「女性の美しさ」というような任意の命題を最初にもってくるとして、その命題を抽象化して考えて、さらに抽象化して、次には具体化して、さらに具体化するというような論理的思考の体操のようなことをすることです…