大庭みなことの対談で、吉本は否定に否定を繰り返した帰り道で他者を許すことができなくてはならないというようなことを言っています。大庭みなこが、その言葉は胸に刺さりますね、と言っていたように私のこころにも刺さります。夕暮れになると吉本は情感を…
しかたなしにということは、本当は共同でもつ希望があればいいということです。吉本がこの文章を書いた敗戦後7年目という時期の共同の希望、日本人としての希望といえばアメリカに追従して戦後の復興を成し遂げて豊かな生活をしようということだったでしょ…
偶然が必然なんだという矛盾を語っています。勝新太郎が「偶然完全」という言葉をよく言っていたらしいです。勝が監督をやるときに台本通りにやらせない。覚えてきた台本なんて死んだものだと言って。その場で出てきた言葉とか、その場で思いついて筋書を編…
宗教性を払いのけたように見せているイデオロギー集団のなかにも理念が宗教的であるものが至るところにあるということを言っているんだと思います。吉本は現在の段階では、宗教だけでなくイデオロギーにも宗教性があって、どちらも普遍的な真理には到達しえ…
沈黙をもってする、というのは書き言葉になる以前の、生活のなかに存在する感情とか体験とか感覚とか痛みとか喜びとかそういうものを通過した言葉をもってする、という意味なんだと思います。インテリぶるなということです。それは普遍的なものから遠ざかる…
こういう西欧の翻訳された文学に影響された比喩を使って書くことは初期ノートの特色ですが、それは若いからだと思います。「今沈もうとしている人類の寂しい夕ぐれ」なんて照れくさい比喩はだんだん吉本は使わなくなります。そういう比喩を自分に許すときに…
イキっとんなあ。 おまけありません。
初期ノートのこの部分は以前にも解説したと思いますが、若い吉本が論理というものにいかに凝っていたかがわかる部分です。スポーツに凝った人がゲームだけではなく、素振りをしたり握力を鍛えたりしようとするように、吉本は論理的に現実の問題を考えるだけ…
「知識」の同時代の範囲を超えることを目指して、自由に感じ考える。それを失うと人類が長い間疑問なくおさまっていた共同体への受動性のなかに退行する。退行は何者かのうへに乗っている安心感といってもいいし、自由を求めることは動揺することといっても…
「形ない暗黒」とか、そういう文学的な表現にとらわれないで考えれば、自分の実生活、家族とか学校とか会社とか地域とかの自分が生きている小さな生活領域に起こっていることを、歴史的現実という普遍的なものに結びつけて吉本は考えているということです。…
真空の時期というのは、現実に向かうことができずに観念のなかに閉じこもっている時期ということなんじゃないでしょうか。「ひきこもり」についての後年の吉本の考えに沿っていえば、それは吉本の「ひきこもり」の時期だと思います。吉本は「ひきこもり」を…
これは吉本が若いころに書いた散文詩「エリアンの手記と詩」の構想を練っている時の文章なんだと思いますこの詩は主人公のエリアンに吉本自身が仮託された物語になっています。どこの国とも知れない国籍不明の舞台を設定した、吉本の数少ないフィクションで…
よくわかりませんが、吉本がいっている「歌」というのは、吉本の心になかだけに秘められた「肯定」のイメージなんだと思います。それは現実のなかで歌われることができないんでしょう。しかし「歌」がないわけではない。それは「25時」のなかで、誰に伝わる…
音楽というのは音楽そのものを指していると同時に、比喩としてアメリカのイデオロギー、ソ連のイデオロギーのことを指していると思います。アメリカから民主主義として押し付けられるものも、ソ連から社会主義として押し付けられるものにも僕の魂は踊れない…
これは解説にしようがないですね。もの判りが悪いというのは、どんな音楽にも踊れないという比喩にあるように否定に囚われた魂のことでしょう。それをなんとかするには思考すしかない。わかるということが否定せざるをえない現実を見渡すことのできる唯一の…
有史以来人類が触れないで済ませた盲点とは何でしょう。書いてないのでわからないわけですが、その盲点は言葉で解明しようとしてもできないのに、いつのまにか体得している。なんとなくわかったような感じがするということでしょう。このなぞなぞのようなも…
吉本にとっての、というか日本人にとっての戦時中の神は天皇だったわけですが、その天皇へ戦後に再び上昇する、つまり信仰することはできなかったわけです。現実に下降しようとしても、その現実に吉本が拒絶するもの、否定するものがうごめいていれば、現実…
宗教から法が生まれ、法から国家が生まれるというのがマルクスの考察だと思います。そういう意味では宗教が否定され、より現実社会に接した法や国家が成立する過程は人類が主体性を獲得していく過程だといえると思います。しかしそれだけで事足れりとするな…
吉本は宗教も知やイデオロギーも信仰のなかに含めていると思います。つまりその両方があるということが、どちらもの真実性に不十分さがあることを意味しているということだと思います。真実をもとめてあらゆる神々の古ぼけた顔を破壊して、そのあとにきっと…
初期ノートの別の個所に「僕は眼を持たない。眼なくして可能な芸術。それは批評だ」と書いてあります。批評というものは論理性であり、抽象性であり、観念です。目で見るとか手で触れるという五感覚でとらえた対象を観念の内部で抽象化していくことは、抽象…
山本哲士という学者がインタビューした吉本の「思想の機軸とわが軌跡」「思想を読む 世界を読む」という分厚い本を読んでみました。山本哲士がしきりに述べていることがあって、それは吉本の思想を理解するということより、吉本とともにこの世界を探求するこ…
この文章は吉本が米沢工業高校時代に友人たちと作った同人雑誌に載せたものだそうで、1943年に書いたものだというからまだ19歳くらいでしょう。吉本が紛失したその同人誌を川上春雄という人が根気よく探し出して「初期ノート」を編集したということで…
これも19歳の若造の吉本の文章ですね。勤労奉仕という言葉に戦争中の風俗があらわれています。人を利己主義でもいいし、不道徳でもいいし、卑怯者でもいいけど、責める人はあんたのほうが利己主義なんじゃないの、ということを言っています。そういう人は…
有用なものではない普遍性というのは、言い換えれば「無償」ということだと思います。「有用性」は何かの役に立つこと、「無償性」はなんの役にも立たないことです。「普遍性」というのは世界中の誰でも納得する正しさです。自然を相手にしても社会を相手に…
これは吉本の過ごした佃島のあたりの光景でしょう。海があって、夕暮れがくる。誰にもふるさとがあって、その情景がこころの奥のイメージを決定づけているといえるんでしょう。わたしは文京区の山の手と下町の中間のような町に育ち、文京区特有の東大から漂…
建築というものは抽象的なものだということでしょうね。人類の最初の頃は、自然のなかで寝起きしていたんだと思います。穴倉とか樹の上とか。それがしだいに自然を加工した板とか柱とかで家を作ることになるんでしょう。もうそこには自然そのものから切り離…
常緑樹というのはいつもはっぱをつけている樹でしょうね。それでは季節を感じにくいから、冬には枯れて、春には芽をだすような樹がふさわしいと、なかなか細かいことを言っています。たぶんこのころ思考の抽象作用のなかに埋没していた吉本にとって、自然と…
これはずいぶん思いあがったことを言っちゃったなという感じですね。しかしこういうことを書く理由はわかる気がします。吉本に限りませんが、詩を書こうという人は最初は模倣から始めるんですね。熱心は人はそれこそ自分の尊敬する先達である詩人の詩を書き…
寂寥といわずに「孤独感」といえば、孤独感は社会に対する強い批判意識からやってくるといえます。批判意識の薄いやつは社会のなかを泳ぐことができます。やあやあ、どうもどうもといいながら。しかし批判意識があればつきあう相手を選ぶし、めんどくさい、…
吉本がいう思考の演習というのは、たとえば「女性の美しさ」というような任意の命題を最初にもってくるとして、その命題を抽象化して考えて、さらに抽象化して、次には具体化して、さらに具体化するというような論理的思考の体操のようなことをすることです…