これは思考ということ自体に凝って、思考の跳躍というものがなぜどのように行われるのかを注視しているにんげんの記述です。やはりこれも幻想論につながるものだと思います。思考の跳躍は幻想と幻想の間の跳躍だとも考えられるからです。 おまけありません。
これは若い時に読んだときにわかったようなわからないような印象でしたが、今読んでもわかったようなわからないような感じになります。確かに激しい愛憎とか悲しみはやがて薄れていくものだと思います。その理由はわたしが思うには、嫌悪というのは対象への…
これもいかにも吉本らしい記述です。面白いと思いますが、だからどうということも特にありません。これは自分の思考とか感情とかを自分の論理で押さえたいという執念のある人が書くことです。 おまけありません。
自由というものを人間にとっての自由と考えれば、それは人間の人間的な欲求を充たすものということになりましょう。人間的な欲求を人間の本能と言い直せば、自由は人間的な本能が規定するわけです。人間的な本能は動物的な本能を基底にして、そこに人間的な…
人間の人間的な本能に社会が規定されるならば、生理学とか生物学が人間の本能を追求するのだから、社会学も経済学も生理学、生物学に規定されるということを言っているわけです。こうした学問の枠を超えた追求の姿勢が、人類の歴史を胎児期の人間のあり方に…
これだけ読んでもなんのことやらわかりませんよね。わからなくて当然だと思いま す。ひとつの悲しみとは何なのか。ひとつの予望って何なのか。唯ひとつのことって 何なのか。赦された者ってどういうことか、「さっぱりわからない」(BY福山雅 治)吉本らし…
唯ひとつの可能って何?それは言わないわけですよ。ああアレだろうな、と思えばつ まりたぶんソレだろうねということです。なんでも言えば済むわけじゃない。言わな い言葉、言えない言葉を聞くという、それが大衆の無言のことばを聴くということで もあるん…
動機、つまりこうしたいとかこう生きたいというような動機があって人は行動する。つまり実践する。しかし現実とぶつかって最初にこうしたいと思ったような結果にはならないものだと吉本は述べています。現実のほうから働きかけてくる力があって、その力と動…
このたった一つのことを信じ込むということの怖ろしさは、キリスト教だけでなくマルクス主義でも同様だということが初期ノート以降の歴史でも証明されたのだと思います。権力と貪らん、あるいはスケベとか不倫とかいじめとか、男女とか集団内での愛憎のすさ…
あけましておめでとうございます。今年もつたない解説をしていきますので、よろしくお願いいたします。さてこの初期ノートの文章ですが、あなたならあなたの個人としての運命を社会的な面からだけ確定することはできないということを言っていると思います。…
こうした考え方の出どころはたぶん小林秀雄の宿命論だと思います。個人にはすべて自己資質という根深い「宿命」があり、それを見出すのが批評なので、それには批評家自身の自己資質または「宿命」の発見が前提とされるという考察です。吉本はさらにその宿命…
現実に対する判断と、信ずるべき正当な方向、つまり理想とする社会の将来のあり方が「潜行せざるをえない」というのは、たぶん吉本の考えが孤立して、主張しても賛同を得られないようになっていくということだと思います。「ぼくが真実を口にするとほとんど…
実験と実証というのはどう違うんでしょうか。またそれで吉本は何を言いたいのか。化学の実験が吉本の当時の職業だったとはいえ、化学のことを書いているわけではないでしょう。これは思想のことを言っているんだと思います。実験というのは実験室で行われる…
「良く企画された」という意味を社会に対して歴史に対して、また自分の意識や無意識に対してよく把握されているということだとすると、戦後の荒地派の詩というのは良く企画された詩といえるのだと思います。だから計量詩ともいえるし、批評を内包した詩だと…
正直言ってこれは良く分かりません。前段の言っていることはなんとなくわかりますが、「固定資本量の生態と労働所得の生態」というのがさっぱりわからない。固定資本というのは流動資本じゃないもの、つまり工場とか建物とかのことだと思います。しかしその…
吉本がどこで書いていたのか思い出せませんが、マルクスについて、普通の人なら数分とか数十分とかしか持続することに耐えられない思考を、何時間も何日も持続して考えに考えることができる、それがマルクスだというようなことを書いていたと思います。プロ…
「できるだけやさしい言葉を用いること」というのは、吉本がひそかに苦闘した大きな課題だったと思います。そこ奥には、吉本が人と、特に女性とコミュニケーションが取りにくいという生涯の体験があったと思います。そんな吉本家に吉本以外は女性と猫しかい…
「それで」というのはどういうことかというと、私の考えでは信じるということができないということだと思います。吉本は敗戦によって信じるものがなくなったということじゃないでしょうか。あるいは信じるということ自体に疑問が湧いたということです。現実…
この「おまへ」は吉本のことでしょう。では誰が吉本に「自分がなさすぎる」と言っているのかといえば、それはこれは創作だと思いますから自分が自分に言っているといってもいいわけですが、私が想像するにはたぶん吉本の物語詩に出てくるイザベル・オト先生…
この初期ノートを書いている時期の吉本は、いわば「ひきこもり」の時期だったといえましょう。敗戦の衝撃を受け止め、新しく思想の構えを立て直すためにうつうつとして考えつづけている、外から見たらひきこもっていた時期ではないかと思います。吉本に言わ…
そうなんでしょうね。ご苦労様です。おまけ。 ありません。
「常に方法的な基礎の基礎のうえに建築された体系」というのは、たとえばマルクスの思想体系のようなことをいうのでしょう。その思想体系は全歴史、全世界をおおって、その方法的原理は人間と自然の根源的な関係をめぐって作り上げられています。だから圧倒…
化学の人だなあという感じの用語ですが、方法とか原理というものの性質を述べているのだと思います。しかし吉本が亡くなって感じることですが、吉本が方法的に原理的に考察してくれているおかげで、吉本の考察がもっているわけです。その時の情況にみあった…
「常に方法的な基礎の基礎のうえに建築された体系」というのは、たとえばマルクスの思想体系のようなことをいうのでしょう。その思想体系は全歴史、全世界をおおって、その方法的原理は人間と自然の根源的な関係をめぐって作り上げられています。だから圧倒…
化学の人だなあという感じの用語ですが、方法とか原理というものの性質を述べているのだと思います。しかし吉本が亡くなって感じることですが、吉本が方法的に原理的に考察してくれているおかげで、吉本の考察がもっているわけです。その時の情況にみあった…
ここで「膜」といっている概念はあいまいです。「現実」というのも「精神」というのもあいまいだと思います。「生理」というのもあいまい。それはその後の吉本の思想から逆に照らしてあいまいだと感じるわけです。ここには共同幻想、自己幻想、対幻想という…
吉本の「心的現象論」の「序説」が「試行」誌上で始まったのが1965年、「本論」が「試行」の終刊とともに終わったのが1997年。なんと32年間の歳月を費やして「心的現象論」は書かれ続けてきたわけです。「少しくらい待ったって」という言葉の重さというもの…
生理がないというのは、なまなましい情動が文字にしてしまうと失われるというようなことだと思います。それでも同時代の読者が読む場合は、同じ時代の空気や事件や風俗を共有していますから文字の背後のなまなましい内面も推測がしやすい面があります。これ…
これは吉本が幼少期をすごした佃島のあたりの光景でしょう。吉本は自分の出生とか生い立ちとか人生の経路とかを隠したり美化したりすることのない人です。失敗は失敗として挫折は挫折として貧しさは貧しさとしてそのまま表現できる人です。なんとか自分じゃ…
たとえば漱石は吉本にとって自分の宿命と同じ構造をもった作家だとみなしたと思います。しかし鴎外は吉本の宿命とは違う構造をもっていたとみなしたと思います。宿命というのは、自分の無意識の構造のことでしょう。意識して行うこととは別の次元で自分の人…