僕は思考の演習がもたらす効果を知つてゐるわけではなく、そうすることによつて効果を実験し得ると考へてゐるのみである。如何なる作家も作品形成における秘事を明らかにしたことはなく、唯彼等は結果だけを提示したにすぎない。一つの結果である作品から、一つの過程である生成の秘事を発見することは容易ではない。(断想Ⅱ)

吉本がいう思考の演習というのは、たとえば「女性の美しさ」というような任意の命題を最初にもってくるとして、その命題を抽象化して考えて、さらに抽象化して、次には具体化して、さらに具体化するというような論理的思考の体操のようなことをすることです。あるいは感情を論理化したり、逆に論理を感情におきなおしてみたりする体操もあったように思います。つまり論理的思考と感性的な思考の体操をするわけで、何か現実的な問題があるから考えるというのが世間一般的なことですが、現実的な問題がないところで、ただ考えるということの体操をしているわけです。思考のシャドーボクシングみたいなものです。

なんでそんなことをするのかと考えると、思考をするということ自体の全体を把握したいんじゃないかと思います。思考するということ自体に自意識が向かうというか、思考するということには領域があってそれは分析可能ではないかという問題意識があるんじゃないかと思います。人間の考えうるすべての領域を確定したいということですね。後年、こうした問題意識が幻想論に結晶したともいえます。

人間が思考するということ全体をひとつの領域として把握し、その内部を三つの幻想領域として区分できるという驚異的な構想とその結実というものは、すでに若年の思考の体操に凝る吉本にみられる、といえばいえると思います。ではなぜ思考の領域を限定することにそんなに執着するかといえば、それは「思考の外側」というものを感じているからだと思います。思考として、つまり概念として浮かび上がる以前の、もやもやとした思念の海のようなもの、あるいは無意識と呼ばれる意識化できないが確かにあると想定されるこころの深海のようなもの、それが明瞭な思考に変わっていく過程を知りたいのだと私には思えます。この知りたい欲求は、後年「母型論」をはじめとする人間の個体史や人類の歴史としての、言葉以前、つまり言語による思考以前の状態の関心として結実していくといえるでしょう。

そんなところで、吉本の分裂病理解の解説に移らせていただきます。森山公夫との対談にみられる吉本の分裂病理解の核心は、言語獲得以前の胎児や乳児のこころの問題と、それを歴史段階に置きなおした原始未開の問題、さらに言えばその方法で透視される未来の社会の問題にあると思います。その核心を追いかけてみるために、もう一度「母型論」を解説しています。

以前にも「母型論」の解説はしましたが、今回は分裂病理解、あるいは精神病理解という角度から再度「母型論」を取り上げてみます。前回までの解説で、「大洋」と吉本が名づけた時期の問題が核心となると述べました。「大洋」期は胎児期のみではありません。受胎後8ヵ月以降の胎児の意識(無意識)の芽生えが生じる以降から、出産体験があって、乳児となって母親との胎外の世界での密着した世界をもって言葉を獲得するまでの胎児期・乳児期にまたがる「言語獲得以前」の状態を「大洋」期と吉本は名づけています。

この「大洋」をさらに解説してみます。「大洋」期の特色は「内コミュニケーション」です。そして「内コミュニケーション」は胎児期に形成されるものだから、胎児期のこころの特色だといえます。それが乳児期においても継続されていくわけです。
「内コミュニケーション」は言葉のない暗い胎内で、母親の体の一部としての胎児のなかに受胎8ヵ月以降に意識の芽生えが起こって以降に登場するコミュニケーション能力です。言葉がないから母親が語り掛ける言葉は理解しません。しかし母親のすべてのこころは、胎児に隠しておきたいこころを含めてすべて流れ込むと吉本は述べています。母親しかいないわけです。しかも母親は胎外に出て以降と違って、胎内ですから外側にいる対象物ではなく、自分の世界が「母」なわけです。全世界、全宇宙が「母」であるということになります。その「母」は現実のひとりの女性として、ある地域、ある歴史段階に限定されたひとつの家のなかにいて、夫との関係、地域共同体との関係、他の子供との関係、生活の苦労、体の不調などなど、さまざまな現実の関係のただなかにあって腹ぼての状態で生きています。ムカつくこと、嬉しいこと、悩み、苦しみ、疲労、癒し、などなどいろいろな思考と感情をもって大きなおなかを抱えているわけです。特に重要なのは夫との性的な関係、愛の問題です。夫との性的な関係がどうなのか、それはもっとも大きな心身の問題として母である女性のなかにあり、その心身の状態はすべて胎児に流れ込む。「内コミュニケーション」の能力によって。それですよ。その重要性、その決定力、その素晴らしさと怖ろしさがにんげんの宿命です。

ではもっと「大洋」期について吉本が述べていることを追ってみます。

言葉のない「内コミュニケーション」によって「母」から流れ込んでくるこころを受け身で浴びている胎児のこころはどのように分析できるか。吉本は三木成夫の業績を手掛かりに、そのこころを「内臓系の感受性からくる心の触手」と「筋肉の動きからくる感覚の触手」のふたつの「触手」からつくられるとみなしています。この場合の胎児の「感覚」というのは、胎外に出てからのものとはまったく異なった「感覚」です。それを吉本は「内感覚」と名づけています。「内感覚」は胎外に出てからの「外感覚」とはまったく異なります。そこでは見ることよりも「聴く」ことが大きな役割を果たします。胎児に形成された耳が、胎内の薄暗い羊水と胎壁しか見えない目の代わりに、母の言葉をはじめとする様々な言葉や物音を「聴く」。その聴いたものをイメージとして目の代わりにしていくと吉本は考えていると思います。この「内感覚」の特性が、臨死状態での幽体離脱とか空中浮遊などの臨死体験の秘密につながっていると吉本は考えていたと思います。ただ科学的に確定できないので、仮説として提示したにとどまりましたが。

ここでなぜ吉本が胎児期・乳児期のこころを「大洋」と名づけたかということを解説したいと思います。広がる空、あるいは宇宙の下に、誰も知らない大きな海がある。
海が胎児期・乳児期のこころだとすると、広がる天空は「母」ということになります。天空から降りそそぐもの、吹き荒れる暴風、あるいは温かい日差し、そういう海の状態を決定づけるすべてが天空である「母」のイメージです。では「大洋」のイメージはなにかというと、内臓系の感覚が横の波だとすると、外壁系の眼とか耳とか筋肉や皮膚からくる感覚を縦の波とみなします。横の波と縦の波が、天空のありように従って波立ち、あるいは静まっていく、そういうイメージになりましょう。横の波である内臓系の感覚と、縦の波である外壁系の感覚はそれ自体では別個の発生源をもつものだから交わることはないものです。内臓系の感覚と外壁系の感覚はそれぞれ別個に波立っている。しかしその縦波と横波が偶然に任意の場所でぶつかりあって波がしらを立てるという光景をイメージします。内臓系の感覚と、外壁系の感覚が偶然にぶつかって相互に浸透する、それが「大洋」のなかにこころとか精神とか呼ばれるものの萌芽を作り出す。そしてやがて言語、つまり概念、あるいは「意味」を獲得させる基盤になるということです。そして縦波と横波がぶつかってたつ波がしらが「内コミュニケーション」を作り出すともいえると思います。

こうしたものが「大洋」のイメージだとして、ここににんげんのあらゆる秘密が隠されているのだと私は思います。ということはにんげんの精神病というものの秘密もここに由来しているということです。「母型論」はいわば吉本の晩年の「初期ノート」です。「末期ノート」というか。体系だっていえないけれど、思考としてできるかぎり突き詰めたものをランダムに書いている印象があります。評論文なのでランダムにはみえないけれど、けっこうランダムですよ「母型論」は。きらめきのある考察がランダムに並んでいる「初期ノート」を思い出させるものがあります。これが吉本の本来の表現と思考の方法かもしれません。吉本が評論文を書くときに、さまざまな思考の断片を紙切れに書いて、机の上に並べてそのバラバラな思考の断片の紙片をながめながら構想を作るということを読んだおぼえがあります。そんな感じです。それは詩の方法ともいえるんでしょう。それが吉本です。ただ科学者としての吉本が体系を求め、全領域の確定を求める。だからえんえんとした考察と追求の果てに体系が結晶するまで、その紙片を並べる作業をやめないわけですよ。

詩人ということで吉本が興味深いことを述べています。「大洋」期はなにかについて、言語をもちいて書いている。しかし言語のない状態を言語で書くのは矛盾である。しかしそれしか方法がないからそうしているだけだと。しかしもしも言語そのものを圧縮したり、変形したり、ふくらませたり破裂させたり、そんな表現ができるなら「大洋」を記述することも可能かもしれないと。こんなことはたぶん吉本しか考えないと思います。詩人だから。「詩」というものの言語の全領域の探索の冒険という側面を考えれば、あるいはありうることかもしれないし、もしかしたら言語の冒険としての「詩」は「大洋」期の再現という衝動があって行われたかもしれないという「詩論」的な新しい観点というものも考えられると思います。「大洋」期とは何か。
そこからどんなにんげんの秘密が暴かれてくるのか、それをよちよち解説していきたいと思います。