2016-06-11から1日間の記事一覧

ひとは女性たちが建築の底を歩むのを視たことがあるだらうか。その如何にも不調和な感じを覚えてゐるだらうか。女性は視覚的実在であるのに反し、近代の建築群が抽象的実在であるためである。又僕は、濠と丸の内街の中間にある路を馬車が通るのを視たことがあつたが、それは如何にも不調和なものに感ぜられた。決して馬車が前時代的であるからではなく、馬が視覚的実在であるからだと僕には思はれた。(〈建築についてのノート〉)

初期ノートの別の個所に「僕は眼を持たない。眼なくして可能な芸術。それは批評だ」と書いてあります。批評というものは論理性であり、抽象性であり、観念です。目で見るとか手で触れるという五感覚でとらえた対象を観念の内部で抽象化していくことは、抽象…

建築の間を歩むとき、精神は均衡と垂直性とを恢復する。(〈建築についてのノート〉)

山本哲士という学者がインタビューした吉本の「思想の機軸とわが軌跡」「思想を読む 世界を読む」という分厚い本を読んでみました。山本哲士がしきりに述べていることがあって、それは吉本の思想を理解するということより、吉本とともにこの世界を探求するこ…