寂寥(せきりょう)は欠如感覚ではない。寂寥は過剰感覚である。(〈寂寥についての註〉)

寂寥といわずに「孤独感」といえば、孤独感は社会に対する強い批判意識からやってくるといえます。批判意識の薄いやつは社会のなかを泳ぐことができます。やあやあ、どうもどうもといいながら。しかし批判意識があればつきあう相手を選ぶし、めんどくさい、利用しにくいやつになるわけです。それは批判意識の過剰です。もっととがらずにふところを広くして仲良くしたほうが得だよと言われます。しかしそうはできないよ。ただ批判意識の底を深くして普遍性に近づけることができるだけだ。



おまけ

ありません。