あまたの海鳥が海の上で演じてゐる嬉戯――それは幼年の日から僕の意識の中に固定した像を結んだ。港 船舶 三角浮標 それからクレエンの響き いまも残つてゐるのはその響きである。(風の章)

これは吉本が幼少期をすごした佃島のあたりの光景でしょう。吉本は自分の出生とか生い立ちとか人生の経路とかを隠したり美化したりすることのない人です。失敗は失敗として挫折は挫折として貧しさは貧しさとしてそのまま表現できる人です。なんとか自分じゃない自分になりたいとか、自分を劇化してみせたいとかいう願望に振り回されていた私の青年期に、吉本のこの態度、身もふたもないくらいのありのままの態度はじわじわと効くボディブローのような影響を与えたと思います。ありのままのあり方というのが、じつは一番深さがあって、普遍性につながるものだと次第に理解していったしだいです。

おまけはありません。