今日資本家の所得と労働者の所得とを比較すること。賃銀の余剰価値部分率を、資本家の所得との対比において論ずるのは余り意味がない。固定資本量の生態と労働者所得の生態の関係こそ、ヒユーマニズムの経済学的考察の対象であらねばならぬ。(原理の照明)

正直言ってこれは良く分かりません。前段の言っていることはなんとなくわかりますが、「固定資本量の生態と労働所得の生態」というのがさっぱりわからない。固定資本というのは流動資本じゃないもの、つまり工場とか建物とかのことだと思います。しかしその生態って何?すいません、わかる方に聞いてください。

おまけ
「うたて此世はをぐらきを 何しにわれはさめつらむ、
 いざ今いち度かえらばや うつくりかりし夢の世に」

これは柳田国男の若い時に書いた新体詩の一節で、吉本が「共同幻想論」の「憑人論」で取り上げたものです。森山はこの詩に「解離」の原始的な心性、「始原の時」への断ち切れない想いを読み取っています。たしかにこころに響く詩です。