抑圧に加へるに抑圧。僕の脳細胞が破壊すれば、僕はそれを勝利と呼ばざるを得ない。(原理の照明)

これはそんなに解説することがないですね。限界まで考え抜こうということです。限界を極端に想定すれば脳細胞が壊れるまで、ということで、そこまでやれば勝利といったっていいんだという若者らしいことが述べられています。

実際はよく考える人より、考えない人、あるいは同じことばかり感情にまかせて堂々巡りで辿っている人のほうが先に脳細胞が壊れるというか衰退してボケるような気がします。これは理屈ではなくて介護の仕事からの実感です。考えるということは、身体にも影響を与えます。

今日は時間もないのでこんなところで吉本の分裂病の解説に移らせていただきます。
シモーヌ・ヴェイユについての吉本の考え方を解説しています。

前回書きましたように、ヴェイユの乳幼児期について吉本が触れているところがあります。ただヴェイユの乳幼児期についての研究が吉本の知る範囲で少ないんですね。だから十分なことがわからない状態です。

わかっている範囲でいうと、ヴェイユが生後6カ月ごろ母親が虫垂炎(盲腸炎)の発作を起こして、以後授乳が十分にできなくなります。そしてヴェイユの祖母が生後11か月目に離乳させます。するとヴェイユはすぐに重い病気にかかります。診断は母親と同じ虫垂炎(盲腸炎)の発作が原因とされました。その病気のあと、ヴェイユは痩せたままで大きくもならず歩くこともしなかったそうです。生後16か月目では、哺乳ビンしか口にせず、それ以外の食べ方(サジ)では受けつけず衰弱しました。哺乳ビンに大きな穴をあけて、食べることはすべて哺乳ビンを通して行われました。22カ月目まで病気だったということです。その後、2歳の時にアデノイド(咽頭扁桃)にかかります。また3歳半のときに、激しい虫垂炎(盲腸炎)の発作を起こします。この後虫垂炎の手術をしますが、回復はおそく、医師は回復不可能と考えていたということです。

これはヴェイユの伝記(シモーヌ・ベルトマン「詳伝シモーヌ・ヴェイユ」)から吉本が引用しているものです。つまり母親が虫垂炎になり、ヴェイユは生後6カ月で授乳障害になったということです。母型論での吉本の考察によれば、この時期に授乳障害を受けたことは、母親との授乳―吸乳関係を介しての生命維持とこころの複合の体験とその発達の突然の切断という意味をもっています。

そして母親が虫垂炎の痛み(苦痛)に耐えながら授乳したことが、吸乳していたヴェイユに痛み(苦痛)の身体反応(反射)を感受性のなかに伝達した、と吉本は述べています。

ヴェイユの思想は「痛み(苦痛)の神学」と呼んでもいいほど、頭痛の苦痛や労働の苦痛にこだわって神の存在を考察しています。苦痛というものは存在論的だと吉本はいっています。存在論的だということは身体的な苦痛だけが苦痛ではない、精神的な無意識的なところに原因があって身体的な苦痛が引き起こされることもあるということだと思います。ヴェイユは生涯頭痛に苦しみ、その頭痛の原因は竇炎(鼻腔炎)であるという説がありますが、それは身体的な原因のみであって、ヴェイユの苦痛にはもっと存在論的な淵源があると吉本はみなしているわけです。

吉本は幼児や少年や、逆に老年は、しばしばどこかに欠如や願望があって、それが生理に対応できる心の限界をこえると、痛み(苦痛)をうったえることで、近親や親和するひとたちの注意をひきつけようとする、と述べています。その欠如や願望が存在論的だという意味になります。吉本はヴェイユの頭痛のはげしさには、かならずやこの問題がかかわっていたとおもえると断言しています。

するとどういうことになるのでしょうか。ヴェイユ虫垂炎の苦痛を感じながらおっぱいをあげている母親から、苦痛の感受性を刷り込まれている。つまり内コミュニケーションによって母親の苦痛を避けようもなく受け取っているわけです。ということはおそらく胎児期においても母親から苦痛の感受性を受け取っている可能性が大きいとみなされます。そしてその内コミュニケーションは生後6カ月で突然切断されます。その後乳幼児期のヴェイユは衰弱し、病気がちになりました。

この乳幼児期、あるいは胎児期を含むヴェイユの成育歴を、ヴェイユの神学と照らし合わせて短絡的に考えると、ヴェイユにとっての神、けして意識や論理によっては到達できず、人間の営みのはるか外側に存在していて触れることができない神、自分が息をしているだけで、神の作った世界を穢すとまで考えている絶望的な彼方にいる神、そして唯一激しい苦痛を介してだけ神のほうから降りてくることがありうる。それをヴェイユは見神体験、触神体験として確かに体験したと確信しています。そういうヴェイユの神は、短絡的に考えればその神は母親じゃないか、と考えられます。現実の母親ではなく、乳幼児期、胎児期の全宇宙が母であった時期の、ひとりの人格をもった他者と認識される以前の、全宇宙としての母親です。つまりそれが神じゃないかと考えたくなりますよね。どうですか。

しかしそれはやはり短絡的にすぎるよなと反省します。それじゃ決定論だから。つまりヴェイユのように育てば、みんなヴェイユのような思想をもつわけじゃないわけです。つまりそれじゃ一般論にすぎるということです。それではヴェイユの意味も、神という概念の意味も短絡的になってしまいます。

しかしそれでも、吉本がいうように「それでもヴェイユの欠如と願望の全体性の像(イメージ)が、この乳幼児体験で第一次的な輪郭をつくったことは、疑うことはできないとおもえる。(「蘇えるヴェイユ」)」ということは重要です。それが母型論がヴェイユの問題に加えたおおきな手掛かりです。

ヴェイユの神の特徴について、吉本が指摘していることにヴェイユの神は異性の身体をもっておりてくるということがあります。抽象的な神でなく、性としての男性の神がヴェイユに触れたり、幻想的な体験としてアパートで共に暮らしたりします。ヴェイユは非常にすぐれた社会分析、政治分析ができる研究者です。ヴェイユがドイツ問題のような社会・政治分析に没頭しているときには、そこには直接には神は登場しません。共同社会の問題に絶望し、そこから撤退した時に、神の問題がヴェイユの最大の関心事になっていきます。吉本の幻想論でいえば、共同幻想の問題から退いたときに、性の領域つまり対幻想の領域のなかから神がやってくるようにみえます。

神、あるいは宗教というものはどういうものなんでしょうか。神は自己意識が無限大に拡大されたものを自己意識の外側にある存在とみなしたものだ、というヘーゲルマルクスの考察した神は、性としての神ではないように思います。神というものは、自己幻想の領域からも遥か彼方に存在するようにみなされ、性としての欠如や願望からも降臨するようなありかたもするし、共同幻想そのものに憑くこともある。神とか宗教というものは、人間がとりうるあらゆる幻想性のすべてをおおうように存在するといえるような気がします。どこへ意識が逃れても神はいる。だから信仰のなかに入ったら、その外側に出ることはきわめて難しいことになるんでしょう。

ヴェイユについて吉本が取り上げている「匿名の領域」というものがとても気になります。

ヴェイユは、科学・芸術・文学・哲学といった人間の最高の所産だとみなされてきたものの彼方に、それとは深淵をもってへだてられたもうひとつの別の領域があると述べています。そこには第一級のものがおかれている、それらのものは、本質的に名をもたないとヴェイユはいっています。つまりその領域が「匿名の領域」です。その領域には人間がいるわけです。優れた人たちがいるというのではなく、いわばあらゆる人間がいる領域なんだと思いますが、その「人間」に対する概念が問題です。

「人間だれでも、なんらかの聖なるものがある。しかし、それはその人の人格ではない。それはまた、その人の人間的固有性(ヴェルソンヌ・ニメーヌ)でもない。きわめて単純に、それは、かれ、その人なのである。(ヴェイユ「人格と聖なるもの」)

これはどういうことでしょうか。ヴェイユには神は人間がかかわる世界の絶対的な外側に存在するとしか思えなかった。母型論的に推察すれば、母は苦痛をまず伝えてきて、苦痛を介さなければ内コミュニケーションはとれなかった。苦痛だけが母からの伝達で、逆にいえば苦痛を介してしか母に到達できないと無意識に刷り込まれた。苦痛の彼方に「愛」とか「善」とか「真理」というような良きものがありそうだったが、それを十分に受け取る前に内コミュニケーションは突然切断された。母の内奥にあるはずのあたたかいものは、とうとう体のなかに入らなかった。それはいつもどこかどんな人間的な能力を発揮しても到達できない外側にあるとみなされた。

だとしたらその宇宙的な母であり神である領域にあるものは、人間的な倫理の規模よりもはるかに大規模な倫理、つまり善・真理・義であるはずだ。そのような人間的な規模を越えた大規模な存在である倫理的な神が、創り給うた人間もまた聖なるものでなくてはならない。しかし人間はどのように人間的な能力を発揮しても、一流の芸術や科学を生み出しても聖なるものに到達できない。しかし聖なるもの、大規模な倫理の基盤になるものはあるはずだ、ということで「かれ、その人」という「匿名の領域」の概念は追求されていると思います。

吉本はこのヴェイユの最後の思想に深甚な影響を受け、自身の最後の思想である「存在倫理」という概念を晩年に提出しました。時間がないので駆け足ですいませんが、「存在倫理」の解説はまた次回で、というより来年で。みなさま良いお年をお迎えください。