2015-01-01から1年間の記事一覧

且て関心を示すところのなかつたものが、いまは激しい関心をそそる。このことは、われわれの精神力学の特質を暗示してゐる。即ち精神がひとつの対象を把握する操作は収斂作用である。精神のひとつの収斂によつて同時にひとつの対象が把握されるのみである。(〈詩集序文のためのノート〉)

かって関心を示さなかったものが、いまは激しい関心をそそるというのは、たとえば吉本の場合、世界認識の方法、具体的にいえばヘーゲルやマルクスのドイツ系の思想だと思います。ではかって関心を示したもの、というのは日本帝国の軍部が流布してきた東亜解…

我々は存在そのものが既に倫理的な実体であることを知る。(断想Ⅳ)

倫理という言葉は分かりにくいですよね。じゃあ精神があるということがイコール倫理だということなのか。だったらあえて倫理といわずに精神といえばいいじゃねえか。しかしたぶんわたしが思うには、倫理というのは精神の矛盾という要素があると思います。そ…

このいら立たしさは何処から来るか。人は絶えず自らの為すべきことを持つてゐる。(断想Ⅰ)

自らの為すべきことを持っている、というのは「仕事」ということだと思います。何度か書きましたが、「仕事」という吉本の言葉は生活費になる仕事ということを必ずしも意味しないと思います。つまり金にならなくても、どうしてもやりたいことがあればそれが…

AがAでなくなるときに残すひとつの空白。(断想Ⅰ)

これはなにを言ってるのかわかりませんね。わかるほうがおかしいぜって感じ。 無理に解釈すれば、自分のアイデンティティを失って、別の思想に移っていくときに、そこにはすんなりといかないこだわりがあるってことかと思います。敗戦後の吉本は、もはや戦中…

分化せられた社会機構における精神の本能的な防衛力として、近代は組織を有つに至つた。(断想Ⅷ)

これは何を言いたいのか私にはよくわかりませんが、近代になると社会機構は分化するということがあります。近代以前では、第一次産業つまり自然に対する農業や漁業や牧畜が主体だったわけです。それも産業としては分化してはいますが、近代以後の第二次産業…

われわれの精神はその方法を組織のためにではなく、組織の根底に対して使駆すべき理由をもつてゐたはずである。(断想Ⅷ)

組織の根底というのがなにかはわかりませんが、おそらく吉本は後年「共同幻想論」に結晶する幻想論の構想をもっていたのではないでしょうか。吉本は個にこだわって、個の根拠を掘りぬいてくれた人です。だから吉本を読んだ人の個である部分はずいぶん救済さ…

風は今日、冷たい。雲のありさまも乱れてゐる。僕は少年の時、こんな日何をしてゐただらう。街の片隅で僕ははつきりと幼い孤独を思ひ起すことが出来る。執念のある世界のやうに少年たちの間では事件があつた。その中で身を処すときの苦痛は、今と少しも変つたものではなかつた。(〈春の嵐〉)

吉本は幼年期とか少年期の記憶を何度も掘り返し、そこから思想の糧を引き出してくる思想家です。ふりかえって私たちはどうでしょう。私は自分のあまりぱっとしたものではなかった幼少年期を繰り返し思い出すということは少ないです。それってなんかきついん…

春の嵐。僕は何も象徴することは出来ないが、その苦痛だけは知つてゐる。(〈春の嵐〉)

「春の嵐」というのは思春期のことを言っているんだと思います。思春期に少年から大人に変わる〜という徳永英明の歌のような時期ですね。体が性にめざめるから「嵐」っていうわけですね。小中高の学生のころでしょう。吉本の少年期は、次のおまけに引用した…

何故にすべての人間は個我の生産物を持ち得ないのか。そして何故に個我の生産物を創り出さうとするものは、僅かな余暇のみを利用せねばならないか。ぼくはこの理由を主として社会制度の馴致された構造に帰せしめる。そして極く僅かな理由を、人間が生存するために働かねばならない最小限度の与件に帰せしめる。(断想Ⅶ)

個我の生産物というのは、芸術のことといえると思います。しかし芸術というと生産活動の外にあるものという感じになります。しかし吉本のこの初期ノートの言いかたというのは、人間の生産活動というものをもっと拡大してとらえたい、そして芸術といわれてい…

芸術は場に開く花である。場のないところに芸術を開かうとしてゐる無数の青年たち。ぼくが君たちに与へうる唯一の助言は、君たちが自らのうちに場をつくりあげるまで、超人的な努力を傾注せよといふことである。さしたる才能なくして場の上に咲く花を余り問題にするな。(断想Ⅶ)

「場」というのはつまり文化的な土壌だと思います。そしてそれを支える経済社会的な土台です。ヨーロッパには日本とは比較にならない歴史的な学問や芸術文化の土壌があります。またそれを支えてきた経済社会の歴史的土台があります。たとえばニーチェがいて…

われわれは時代の不幸を時代にかへさなければならない。現代における人間精神の社会性は正しくこの使命を負つてゐる。且て個我の受けた傷手のうち、自我の負ふべきでなかつたものが如何に多くあつたか。(断想Ⅳ)

自分のこころというものを、ひとかたまりのものとしか思えないならば、つらいことが起こると自分を責めるしかないわけです。あるいは自分がただ耐えるしかない。ひとかたまりだと思えば、外側の世界とひとかたまりの自分しかないんだから、つらい状態は世界…

現代における人間の生存は、何も結果を生まない。且て自らの自我が産み出すものを信じて、それに殉じた無数の芸術家たち。その幸せな時代は過ぎ去つてかへらない。今日では自我はそれをとりまく環境のやうに稀薄だ。そしてまるで商品のやうに均一な精神の生産物を生み出すにすぎない。(断想Ⅳ)

吉本がこのノートを書いてから65年くらい経つわけですが、環境のように希薄だと書いた自我の問題はもっともっと進展したといえます。かんたんに言えば誰もかれもが同じような生活をするようになったということです。すると誰もかれもの無意識も似通ってくる…

またも一日の終りに熱くほてつた頭脳と痛む神経とが残つてゐる。僕は明日も生きることを強ひられてゐる。強ひられてゐるといふことの外に何の言葉も用ひることは出来ない。(〈夕ぐれと夜の言葉〉)

ここには吉本の思想の重要な要素である「受動性」というものと、その核となる体験が述べられていると思います。戦争中に吉本の内面を充たしていた戦争肯定に至る世界認識と、徹底抗戦とか戦争死の覚悟といった内面の覚悟性が敗戦の現実によってこなごなに砕…

何故ならば、僕は持つてゐる一片の意志も生きようとする欲求のなかに費さなかつたから。又強ひられてゐるといふ感じの外、何の由因を見つけ出すことは出来なかつたから。僕は何を言うべきだらう。且て愛してゐたものは幻影と残渣とにわかれて消散してしまつた。熱心に聴いてゐた耳は、もう何も聴かなくなつて、すべてが静寂そのもののやうだ。体内には微かな血液の循環が感じられてゐる。僕は何を言ふべきだらう。(〈夕ぐれと夜の言葉〉)

これを書いている若い吉本はかなり「うつっぽい」ですが、病的とはいえません。なぜならば過去は辛く、未来はまったく見えない状態ですが、過去から現在へそして未来へという了解性は抑圧されながらも生きていて、それが吉本を苦しめていることが分かるから…

〈人々がやつとの思ひで手に入れた自由は屢々誇りを持つた人間にとつては、何とも我慢の成らないやうな奴隷状態に、云ひかへれば愚昩にして残虐な愚民群の支配に転化したのであつた。(ランケ)〉このランケの口振り。我慢のならない出来具合である。こんなことを言つたとてそれが人間の幸福に何を加へるといふのか。(エリアンの感想の断片)

これは要するに「愚民政治」という言葉がありますが、一般の民衆に権力を持たせると「愚昧にして残虐な」支配を行ってしまうというランケの考察に吉本が反発しているのだと思います。ランケのいうことを普遍化すれば結局一般大衆というものが愚昧にして残虐…

僕は少数者の支配による圧政に抗して生起した大革命を、暴徒を信ずる。その動機の現実性を信ずる。誰が結果のために行動するだらうか。実践はいつも動機だけに関与される。そして人間史は、ランケの言ふやうに又ヘーゲルのいふように理念なるものによつて動かされたのではない。それは無数の動機の、しかも悲哀ある動機の連続である。(エリアンの感想の断片)

その動機の現実性を信じるという言葉が心を撃ちます。一般大衆の現実というところを信じるということです。そしてやってみなければわからない実践というものの現実性を指摘していると思います。では大衆の現実というものは理念の眼から視えるのか。視えてい…

そして秘やかな夜が来た。勿論、三月の外気は少し荒いけれど、それはあたかも精神の外の出来事のやうだ。夜は精神の内側を滑つてくる。甍(いらか)のつづき。白いモルタルの色。あゝ病ひははやく癒えないだらうか。僕は言ひきかせる。〈精神を仕事に従はせること〉。(夕ぐれと夜との独白)

精神が外界と遊離して、現実と離れてただよっていく感覚が描かれています。敗戦の与えた衝撃が若い吉本にそれを強いているのだと思います。これは病ひだという認知が吉本のなかに生きています。つまり病ひに抵抗できています。そこで精神を現実につなぎとめ…

この世は仕事より高級なことも、仕事より低級なことも、そして複雑ささへ、それ以上でも以下でもないのだから。(夕ぐれと夜との独白)

これは仕事というのを「現実との関係」というふうに読みかえればいいような気がします。現実と関係し、現実を分析し、現実と格闘する。それ以上に高級なことがどこか「いと高きところ」にあると考えない。もっと高度で複雑で知的なことがあるとも考えない。…

公式的解釈以外の方法でこの国の現実的な社会構造が明晰にせられたことは且てない。正しく思想家や政治哲学者によつて解かれるべき問題に、非力な僕が当らねばならないとは!本質的な意味で、この国の社会構造はヨーロツパにおける中世から近世への推移をたどつてゐるように思はれる。社会思想が積極的な役割を果すものとすればそれは次の三点に要約せられる。(Ⅰ)政治及び立法府を占める者の封建的民衆軽蔑の思想及び手段を絶滅せしめること。(Ⅱ)民衆に社会的啓蒙をうながすこと。(Ⅲ)経済的手段を独占してゐる者への啓蒙。その搾取心理の排

明けましておめでとうございます。え〜今年もばかばかしい解説でご機嫌を伺います。 この初期ノートの部分は、後年の吉本の言葉でいえば、日本の社会は産業構造としては近代資本主義から現代の消費資本主義へと移行しているが、大衆の意識や無意識のなかには…

何れにせよ世界における最も貧しき資源の国であるといふ特殊事情への考察が基本的なものとならざるを得ない。(中世との共在)

日本が世界で最も貧しい資源の国なのかどうか知りません。 しかし天然資源も鉱物資源もほとんどないかもしれません。かっては石炭は採れたけど、もうそういう時代ではないし。だから資源は輸入に頼り、それを加工する技術を磨いて経済大国になったんでしょう…