公式的解釈以外の方法でこの国の現実的な社会構造が明晰にせられたことは且てない。正しく思想家や政治哲学者によつて解かれるべき問題に、非力な僕が当らねばならないとは!本質的な意味で、この国の社会構造はヨーロツパにおける中世から近世への推移をたどつてゐるように思はれる。社会思想が積極的な役割を果すものとすればそれは次の三点に要約せられる。(Ⅰ)政治及び立法府を占める者の封建的民衆軽蔑の思想及び手段を絶滅せしめること。(Ⅱ)民衆に社会的啓蒙をうながすこと。(Ⅲ)経済的手段を独占してゐる者への啓蒙。その搾取心理の排

明けましておめでとうございます。え〜今年もばかばかしい解説でご機嫌を伺います。
この初期ノートの部分は、後年の吉本の言葉でいえば、日本の社会は産業構造としては近代資本主義から現代の消費資本主義へと移行しているが、大衆の意識や無意識のなかには江戸時代まで続いてきた「アジア的段階」の名残が残存しているということになると思います。それから社会思想の役割を支配者と民衆への啓蒙にあるという考え方は、後年の吉本にはなくなっています。啓蒙というのは知識のない者に知識のあるものが知識を注ぎ込むことですが、吉本はこのノートを書いた若年のころより次第に政治への考察を深めていき、知識のない者のあり方すなわち「大衆の原像」に価値の根源を見出すようになります。それとともに啓蒙主義というものにも批判をもつようになっていきます。
さて「母型論」の解説に移ります。昨年に解説しきれなかった残りの「脱音現象論」をやっつけたいと思います。日本の「アフリカ的段階」の言語はどうなっていたのか。それは書き文字のなかった段階の言語なので、後年の「アジア的段階」の書物のなかに「アフリカ的段階」の痕跡を探るという方法になります。あるいは東北、北海道や九州、沖縄に残る言葉のなかにそれを探るということです。
吉本の記述の順序を入れ替えて、私がわかりやすいように解説してみます。吉本は日本の「アフリカ的段階」の言語の特色はもっとも古いものとしては、つぎつぎに語を反復して新しい概念をあらわすという特色があったと考えていたと思います。列車を2両、3両と連結させるように、語を連結させて新しい概念を生み出します。
具体的な例として沖縄の「おもろさうし」に出てくる神女や貴人の命名の仕方をみます。「おもろさうし」にあるということは、「アフリカ的段階」である旧日本語の特色だとみなされるということです。
按司添いぎや親御船(あぢおそいぎやおやおうね)
おぎやか思いぎや親御船(おぎやかもいぎやおやおうね)
上記は「おもろさうし」に出てくる言葉ですが、意味は「按司琉球の豪族の首長)を支配なさる王様(尚真王)のもっている立派な船」「おぎや(尚真王の名)様がもっている立派な船」ということです。語が連結されて新しい語を作っていることが分かります。
この古い旧日本語の痕跡を新日本語で書かれた「古事記」「日本書紀」の神話のなかにも見出すことができる。
天つ日高日子波限建鵜葺草不合の命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)
これは神武天皇の父親にあたる神の名前で、意味は「天つ日高の系譜に属する波限彦である貴人、鵜の羽で屋根を葺きおえないうちに生れた神さま」です。生誕のときに母親が産屋(うぶや)の屋根を葺きおえないまえに産気づいて生まれたということを神の名前にしています。この名前はふたつの意味で和語(奈良朝以後の日本語、すなわち新日本語)からはありえないとみなされる特色をもっています。ひとつには語を連結させて一つの文のような語を作って、それを名前にすることです。それと産屋の屋根を葺き終えずに生まれたというようなことを名前にすることはありえないということです。それが旧日本語の語法の名残であると吉本は考えています。
こうした語と語をつないでどんどん新しい意味を加えた語を作っていくという語法がもっとも古い形であったとしてみます。次にその語法はどうなるかというと、この語と語をつなげて、反復させていくと、語と語のあいだに短音化、縮音化、無声音化などが起こると考えます。まとめてそれらを脱音化と言えば、語と語のあいだに脱音化が起こるのは、日本語の音韻上の特質にあると吉本は考えています。たとえば母音「ア」は「ア」のようにも「アー」のようにも「ア・ア」のようにも発言できます。子音でも「ネ」は「ネ」とも「ネー」とも「ネエ」とも発音できる。つまり日本語はその語の直前にくる音素や、方言による変化としても、一字一音の子音、母音についてこれだけの許容度がある。それが語と語を反復させるためにつなげる時に、脱音化が起こる理由だと吉本は考えたわけです。
まず一番古い語法として語と語をつないでいくという形がある。そう考えると他の旧日本語の特性とみなしていた要素が、語と語をつなぐという必要から生まれてものではないかという意味で統一して考えられるようになっていきます。「動詞の名詞化」と呼ばれる特色があります。
たとえば「な忘れと 結びし紐の」とか「さ寝に我は行く」という「万葉集」の歌の部分があります。これは「動詞の名詞化」です。「忘れな」という動詞を「な忘れ」という名詞として使える形に変形しているわけです。吉本によれば、こうした「動詞の名詞化」は、旧日本語のほかの特色である「逆語順」が成立する必須の条件だということになります。「な忘れ」は「動詞の名詞化」であるとともに「逆語順」でもあります。動詞を名詞化するのは「逆語順」のひとつの方法だということになります。そして「逆語順」が生まれるのは、語と語を連結する必要からだと考えられます。またそれが接頭辞と接尾辞というものを、語と語の連結のなかで生まれるもので、その連結が語頭に来る(接頭辞)か語尾に来るか(接尾辞)は任意にきまるだけで、そういう意味では接頭辞と接尾辞は等価なもの、同位性のものと吉本は考えています。たとえば「清き浜傍(はまび)を」という万葉集の部分があります。「継ぎて見に来む清き浜傍を」。「清き浜傍を」だと正語順になり接尾語になります。もしこれを「清き傍浜(びはま)を」と逆語的にいうと、それは接頭辞の用法になります。つまり接頭辞と接尾辞はその都度の語の必要に従うだけで等価なものとみなせます。また逆語順や動詞の名詞化も、語と語をつなぐ旧日本語の語法から生じたものと考えられます。
こうして語と語をつなげていくときに脱音化が起こります。脱音化をきわめていくと、ただ一音の語となるわけで、それが接頭語です。たとえば「さ寝らくは」「ま遠くの」「い向かい立ちて」(万葉集)の「さ」「ま」「い」などは接頭語ですが、もはや本来の意味が消えてしまっています。それは音数律を充たす必要が生み出したものだと考えられますが、この一音になるまで脱音化をきわめた母音や子音も、元をたどれば意味をもった語であったと考えられます。それは沖縄の「おもろさうし」などと比べて考えるとわかってくることです。
そして脱音化がきわまっていくときに、母音が縮退した極限で「ん」の音、N音が母音より母源的なものとしてあらわれると吉本はみなしています。「ん」の音は日本語のもっとも古い、乳幼児期と対比すれば「あわわ言葉」の時期かそれ以前に対応する根源的な語だと吉本は考えています。
こうしたところで「脱音現象論」の解説を終わらせていただきます。あとは「脱音現象論」の続きともいえる「原了解論」です。それはまた来週。