僕は少数者の支配による圧政に抗して生起した大革命を、暴徒を信ずる。その動機の現実性を信ずる。誰が結果のために行動するだらうか。実践はいつも動機だけに関与される。そして人間史は、ランケの言ふやうに又ヘーゲルのいふように理念なるものによつて動かされたのではない。それは無数の動機の、しかも悲哀ある動機の連続である。(エリアンの感想の断片)

その動機の現実性を信じるという言葉が心を撃ちます。一般大衆の現実というところを信じるということです。そしてやってみなければわからない実践というものの現実性を指摘していると思います。では大衆の現実というものは理念の眼から視えるのか。視えていないとすれば、大衆の現実を自身の現実として分析することから始めるしかない。それが戦後の吉本が思い決めたものだと思います。これは吉本が安保闘争に参加していった時の思想であったと思います。吉本は他の誰とも違うモチーフで参加したと思います。その根拠はやはり一般大衆の現実性ということであったと私には思われます。また安保闘争が当時もっとも先鋭的な戦い方をしたブントとともに行動して、どうなっていくのかはやってみなくてはわからないことだったという闘争の現実性も踏まえていたと思います。やるという時の現実性の根拠と、やってみなくてはわからない行動に賭けていく姿勢とは吉本の終生の実存性というやつだったと思います。私はそれ を信じます。

おまけはさぼらせていただきます。
「母型論」の解説のあと何の解説をするかはまだ決まっていません。
みなさんマジで読みたいですか?こんなつたない解説。
うんざりしてない?どうなの本音のところ(ノ_σ)
だって吉本の本を読むのがいちばんいいわけじゃん。日本語で書いてあるんだし。
あでも自分としてはありがたいことなので次回もやってみたいと思います。