我々は存在そのものが既に倫理的な実体であることを知る。(断想Ⅳ)

倫理という言葉は分かりにくいですよね。じゃあ精神があるということがイコール倫理だということなのか。だったらあえて倫理といわずに精神といえばいいじゃねえか。しかしたぶんわたしが思うには、倫理というのは精神の矛盾という要素があると思います。そこで吉本の幻想論が重要となります。たとえば原始時代の人間がそうであっただろうように、共同幻想と自己幻想と対幻想がまみれているような状態では倫理はないと考えられます。その三つの軸に矛盾が生じて、社会の意思はこうでもあたしたち二人はそれは納得いかないとか、家族の意思はこうでも俺はいやだとか、そういう矛盾のなかで精神における倫理は生まれると私は考えます。だから存在そのものに倫理がある、というこのノートの言葉は歴史的に考えればそうはいえないと思います。どうなんでしょうか。

おまけ
今回のおまけはありません。