AがAでなくなるときに残すひとつの空白。(断想Ⅰ)

これはなにを言ってるのかわかりませんね。わかるほうがおかしいぜって感じ。
無理に解釈すれば、自分のアイデンティティを失って、別の思想に移っていくときに、そこにはすんなりといかないこだわりがあるってことかと思います。敗戦後の吉本は、もはや戦中の軍国思想に戻ることはできません。Aであった自分がAでなくなるわけです。そして戦後の社会には民主主義や社会主義の思想があらわれ、それに乗り換えていわばBやCになる知識人はいっぱいいたわけです。しかし吉本はAであった自分、天皇を信じ、軍国主義を信じていた自分にこだわりがあったわけです。AがAのままで生きようとした三島由紀夫とは違って、その捨てて捨てきれない空白を掘り下げる道を選んだと思います。
話しは違いますが、先日いがらしみきおという漫画家の「アイ」という全3巻の分厚いマンガを読みました。いがらしみきおは私の若いころぶっとんだ4コマ漫画を描くギャグ漫画家で、いつのまにかシリアスなマンガを描くようになっていました。この「アイ」というマンガのテーマは哲学的なもので、この世界がわからない、この世界を作った神さまはどこにいるのだろうか、というテーマを追求しています。赤ちゃんであったころの自分にとっての世界というものに深くこだわり、そこで抱いた素朴で根源的な世界についての疑問を手放さずに生きてきた作家の作った作品です。作者の油ののった力量が発揮された傑作だと思いました。ヘーゲルが根源のところでもっていたと吉本がいう、この世界の形成以前のありかたへの執着と同じものを、知的なものからでなくあくまで個人が生きる姿にそって描こうとしています。吉本の母型論みたいな小難しい書物に興味があるようなヘンな方々にはぜひおすすめしたいと思います。

おまけ
おまけは今回はありません。このゴールデンウィークは香港に観光旅行してきました。香港についての本をいくつか読みましたが、いちばんいいなと思ったのは「転がる香港に苔は生えない」(星野博美著 文芸春秋文庫)でした。