〈人々がやつとの思ひで手に入れた自由は屢々誇りを持つた人間にとつては、何とも我慢の成らないやうな奴隷状態に、云ひかへれば愚昩にして残虐な愚民群の支配に転化したのであつた。(ランケ)〉このランケの口振り。我慢のならない出来具合である。こんなことを言つたとてそれが人間の幸福に何を加へるといふのか。(エリアンの感想の断片)

これは要するに「愚民政治」という言葉がありますが、一般の民衆に権力を持たせると「愚昧にして残虐な」支配を行ってしまうというランケの考察に吉本が反発しているのだと思います。ランケのいうことを普遍化すれば結局一般大衆というものが愚昧にして残虐な存在だということになります。ではランケ自身は何者なのだといえば、一般大衆とは隔絶したところにいる知的なエリートだということになるでしょう。俺はエリートで、一般大衆はバカだというこの大衆蔑視の心理は知的な人間の持病みたいなもんで、政治家、官僚、学者、文化人のいたるところにみつけられます。
一般大衆が愚昧で残虐なバカの群れなのだとすれば、一般大衆に一票を平等に与える民主政治の理念は愚かなものだということになるでしょう。そうだとすれば副島隆彦が大胆に言っているように企業経営者などの「上層国民」にだけ選挙権を持たせればいいという主張につながっていくわけです。ここは一般大衆というものをどう考えるかという分かれ道です。吉本ならば平等に一票を与えるということを否定することはないでしょう。しかし吉本は一般大衆というものは知識人から見ればやっぱり愚昧にして残虐にみえるという一面の真実を回避してそう考えているのではありません。愚昧にして残虐な存在だというそのことを掘り下げて原理的な考察に到達しています。それが大衆の原像という思想ですが、以前に解説したそれを繰り返すと時間がなくなるので、「母型論」の最後の解説にさくさくと移らせていただきます。
前回までの解説では「母型論」のラストにある「原了解論」の接頭辞と枕詞について触れました。要点を繰り返せば、吉本は日本列島の南北に旧日本語の痕跡が色濃く残っているとみなしています。そして日本列島の真ん中には新日本語の世界があるわけです。そして旧日本語の世界は新日本語の世界に遭遇し、旧日本語が新日本語のなかに混じっていくわけでしょう。そこで吉本は日本列島の南島である琉球沖縄の「おもろそうし」と、日本列島の真ん中の新日本語つまり和語の世界の「万葉集」や「記紀」とを対比して、旧日本語と新日本語の接続を明らかにし、そして旧日本語の特質を見つけ出そうとしています。このために接頭辞や枕詞を分析しているわけです。残るのは接尾辞ですが、ここでも吉本の方法は同じです。さらに琉球語や日本列島の北である東北にも同様にみられる述語表現の特色である「逆語順」についての考察があって、それで「母型論」は終了しています。旧日本語と新日本語の接続という問題は、歴史としてのアフリカ的段階とアジア的段階の接続という問題でもあります。
「おもろそうし」の接尾辞(接尾語)と新日本語(和語)である「万葉集」の接尾辞を比べてみると、接頭辞と同様に「おもろ」のほうが具象性があり、「万葉集」のほうがたった一字に短縮されて意味を失っていることがわかります。「おもろそうし」の接尾辞の例をあげると、
 島討ち富
 太良金
 おもろ小太郎つ
 仲地真五郎子
という場合の「富」「金」「つ」「子」などが接尾辞になります。「島討ち富」は和語でいえば「島討ち丸」という船の呼び名にあたります。「太良金」は「太良さん」、「小太郎つ」も「小太郎さん」にあたる。「真五郎子」も同様に「真五郎さん」とか「様」にあたります。このような用法は和語にもありますが、「おもろ」と比べると「おもろ」のほうがそれとなく祝称、敬称、尊称の意味をもつ具象性を帯びた言葉であり、和語のほうは「丸」「さん」「様」というような接尾敬称という一般性しか感じられなくなっていると吉本は述べています。
さらに「おもろ」の接尾辞をみると、
 永良部(えらぶ)むすひ思へ(よもへ) (永良部の「むすひ」さま)
 聞ゑ君加那志
 成さ(なさ)の浮雲が(うきよくもが) (父なる貴人)
といった接尾辞があり、この「思へ」「加那志」「浮雲」といった情念を表象する言葉が接尾の尊称や敬称の言葉になっています。「これは和語の世界からは思いも及ばぬものだが、この具象的な情念の言葉が接尾の形象や尊称になりうるところに、琉球語の韻文的な特徴があらわれている」と吉本は述べています。
さらに琉球語の接尾辞の特徴として、
 太郎つ満月や
 山内太郎兄部
 仲地真五郎子(まごろく)
のように「太郎」「五郎」とかいう長幼の序を語る男子の一般呼称が、貴人をあらわす接尾辞になって用いられることがある。「太郎つ満月や」は<満月という名の尊い人>という意味になり、「山内太郎兄部」は<山内(地名)というところの兄者である貴人>という意味になる。「仲地真五郎子」は<仲地(地名)にいる尊い御方さま>ということになる。つまり太郎は長男を意味して五郎は五男だという和語の常識とは異なった用法が旧日本語である「おもろ」には見いだされるということです。吉本はそこから類推して和語の「曽我の五郎」の「五郎」は五男ではなく、武勇に優れた曽我氏の息子という意味ではないか、また「関の孫六」という名刀(あるいは刀匠)は「関の真五郎子」からきたものかもしれない、という感想を書き記しています。ちなみに私は「圭一郎」という名前で、この一郎は長男だからですが、父親は「圭五」といいますが次男なんですね。次男なのになんで「五」なのか不思議でしたが、これも数字ではなく尊称としての意味がこめられているのかもしれません。
こうした「おもろ」の具象性が感じられる接尾辞に比べて「万葉集」の接尾辞をみると
 在干潟(ありちがた)あり慰めて行かもども 家なる妹いおほほしみせむ
 八十国(やそくに)は難波に集ひ 船飾(ふなかざり)吾がせん日ろを 見も人もがも
この「い」や「ろ」が接尾辞ですが、なぜ使われているのがどんな源義をおびているのかわからないと吉本は述べます。推測すれば「家なる妹い」は「妹」に特別な感情をもっていることを意味していたのかもしれないし、また「船飾吾がせん日ろ」は、その日に特別な情念をこめた表現であったかもしれない。しかしいずれにせよ「おもろ」の接尾辞のもつ多彩さや具象性にくらべ、はるかに短縮され謎めいて抽象性を失ってしまっていると吉本は述べています。
以上が「原了解論」の接尾辞の考察の解説です。さらに述語表現の「逆語順」についての考察が続きます。
「和語」の世界に比べて、旧日本語つまりアフリカ的段階の言語に特徴的なもののひとつに「逆語順」があります。なぜ「逆語順」が使われるかを吉本は考察しています。それは「正語順」にすると名詞として完結してしまうが、「逆語順」にすると語尾に向かって意味が開かれた言われ方になるということです。意味が開かれるということは、さらにその下に語を連結できるということになります。次々に語を連結することで述意をくわしくすることができた開かれた語法の時代があった名残ではないかと吉本は考えています。具体的に「おもろ」の例をあげると、
 太良金(たらかに)ぎや細工(さいく)
 うまのこが細工(さいく)
という言葉があります。「細工」というのは「大工」のことです。和語ならば「大工である太良さん」「大工であるうまのこ」という順序になります。それを「逆語順」で述べているわけです。また、
 地(ぢ)天の 有らぎやめ
 口正(くちまさ)しや(予言)
 地(ぢ)離れ 揃いて(離島)
といった言葉の「地天」は和語なら「天地」です。これは語と語が逆語順になっているのではなく、一語が二概念の接合から成るばあいの逆序を意味しています。「口正し(や)」は「正し口(予言のこと)」であり「地離れ」は「離れ地(離島のこと)」という意味になります。
「正し口」とすれば完結した名詞でありそのあとには、これを受ける助詞や助動詞や動詞がくるほかない。しかし逆語順の「口正し(や)」は、そのあとに、たとえば「按司加那志」をつなげれば「口正し(や)按司加那志」とつづけて<神聖な予言をする按司様>の意味をつくることができるし、またさらに述意を連結することができると吉本は述べています。
このように連結されていく例を「おもろ」からあげると
 「百度(ももと)踏み揚(あ)がり」や(神聖な王女名)
 按司添(あぢおそ)いぎや親御船(おやおうね)
 おぎやか思(も)いぎや親御船
この「親」は「御船」にかかる接頭辞になる。これらは王女や船をあらわすワンセンテンスの言葉であることに特徴がある。そしてそれは和語の世界からは考えられないものといえます。語と語を連結する旧日本語の語法が作り出すものだといえるのでしょう。
百度踏み揚がり」というのが王女の人名になります。和語の世界に置きなおせば「百度も高みにのぼってゆくような貴い人」となりますが、こうした動態名詞のような名前が成り立ちうるのは、語法そのものが語尾に向かって意味が開く特質をもっているからだと吉本は述べています。「按司尚真王)ぎや親御船」も和語なら「按司を支配なさる王さまのもっている立派な船」というようになり、「おぎやか思いぎや親御船」は「おぎや(尚真王の名)様がもっている立派な船」となりますが、これも船をあらわすワンセンテンスであり和語(奈良朝以後の日本語)からは隔絶した語法といえます。
しかし隔絶しているという面だけでは旧日本語と新日本語の接続面が見いだせないので、吉本は和語の世界に「おもろ」の語法につながるものを探しています。それはただひとつ「記紀」のなかの神話の世界に見いだされると吉本は述べています。
古事記」のなかに「天(あま)つ日高日子波限建鵜葺草葺不合(ひこひこなぎさたけうがやふきあえず)の命」という神武天皇の父親にあたる神の名前がでてきます。意味は「天つ日高の系譜に属する波限彦である貴人、生誕の時、母親が鵜の羽で産屋(うぶや)の屋根を葺きおえないまえに産気づいて生まれた神さま」ということになります。このような名前のつけかたは和語の常識ではありえないことであり、旧日本語法の名残りであるとみなせると吉本は述べます。こうして旧日本語と和語の連結面が見いだされたわけです。
これまで登場した例は琉球沖縄の「おもろそうし」ですが、語彙をつぎつぎに連結している語法は日本列島の北にも残存しています。たとえば「気仙沼」はアイヌ語で類似音にほぐして「kes-en-nu-ma」と仮定すれば「尻がー光っているー豊漁のー峡湾」となり、「おもろ」の語法と共通していることになります。また「白石」は「sir-o-us-i」で「山のー尻にーついているー所」と呼ばれていたことになります。
吉本は最後に「古事記」の神話にあらわれる「おもろ」の連結する語法につながる神の出現する舞台は、そのエピソードの質(たとえば海幸彦、山幸彦の説話)と雰囲気から南島系の神話の匂いをもっていると記しています。そしてその語法と匂いは関東以北の言語習性の面影によく似ているとも述べています。
以上でながながと解説してきました「母型論」の解説を一応終わりとさせていただきます。おつきあいをいただき大変ありがたく思います。