何故ならば、僕は持つてゐる一片の意志も生きようとする欲求のなかに費さなかつたから。又強ひられてゐるといふ感じの外、何の由因を見つけ出すことは出来なかつたから。僕は何を言うべきだらう。且て愛してゐたものは幻影と残渣とにわかれて消散してしまつた。熱心に聴いてゐた耳は、もう何も聴かなくなつて、すべてが静寂そのもののやうだ。体内には微かな血液の循環が感じられてゐる。僕は何を言ふべきだらう。(〈夕ぐれと夜の言葉〉)

これを書いている若い吉本はかなり「うつっぽい」ですが、病的とはいえません。なぜならば過去は辛く、未来はまったく見えない状態ですが、過去から現在へそして未来へという了解性は抑圧されながらも生きていて、それが吉本を苦しめていることが分かるからです。

「反復」キルケゴールより
「彼は深くそして熱烈に恋している。これは明らかだ。それだのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶する状態にある。つまり、彼の恋愛関係はすでにまったく終わっているのである。はじめるとき恐ろしく大股に歩いたために、彼は人生を飛び越してしまったのである。その娘があした死んだとしても、それは彼にとって、なんら本質的な変化をひき起こしはしないだろう」