現代における人間の生存は、何も結果を生まない。且て自らの自我が産み出すものを信じて、それに殉じた無数の芸術家たち。その幸せな時代は過ぎ去つてかへらない。今日では自我はそれをとりまく環境のやうに稀薄だ。そしてまるで商品のやうに均一な精神の生産物を生み出すにすぎない。(断想Ⅳ)

吉本がこのノートを書いてから65年くらい経つわけですが、環境のように希薄だと書いた自我の問題はもっともっと進展したといえます。かんたんに言えば誰もかれもが同じような生活をするようになったということです。すると誰もかれもの無意識も似通ってくるしかありません。もはや個々の無意識の違いを取り上げることに大きな意味がなくなりつつあるわけです。ここに至って無意識を問題にするとすれば、それは「無意識をつくる」という課題である、という誰もかって述べなかった大胆な考察を残して吉本は亡くなってしまいました。「無意識をつくる」とは何か。それは解説の進行のなかでいずれまた触れてみたいと思います。

おまけです。
本多秋五」  吉本隆明吉本隆明全著作集7作家論Ⅰ 勁草書房 昭和43年)

「しかしながら本多秋五さん。この世界には、馬鹿ばかりがいるわけではない。これからもわたしは貴方と思想的にも文学的にも相交ることはないだろうが、貴方の仕事を土砂に埋めることもしないし、貴方のように諦めもしないし、貴方のように亡びてもいい誤謬を擁護したり、それと同伴したりもせず、きびしく確乎としたそれらとの格闘のなかで、貴方の仕事を生かしきることのできるものがいることを信じてもらっていいとおもう。かって世界のどのような国でも胎内にいるときに虐殺されて開花することのなかった真制の左翼が、この国でだけ胎動をむかえつつあり、それらは決して亡びることがないであろうことを信じてもらいたいとおもう。それが、この酬いられることのない誤謬に奉仕し、長年連れそい、自己資質を抑制しながら、わたしなどと反対に、謙虚に齢をむかえて、いま数冊目の評論集をまとめることになった古典左翼最大の正統理論家にたいするわたしたち後世代からの頌歌である」