誕生したとき、すでにある時代の、ある環境のなかにあつた、という任意性は、内省的な意識からは、どうすることもできないし、また意味づけることができないものである。わたしのかんがえでは、さまざまなニュアンスをもつた「存在」論の根拠は、つづめてみれば、かれ自身にどんな意志もないにもかかわらず、そこに「在つた」という初原性に発している。(過去についての自註)

私たちは生まれてこようとして生まれたわけではない。親子喧嘩で「誰が育てたと思ってるんだ!」とか言われて「産んでくれと頼んだおぼえはねえ」みたいなことを言いかえしたことのある人はたくさんいると思います。私も言ったことがある。そうするとたいがい親は黙りますね。つまりこれはそうとう強力な反論になっているわけでしょう。親も時代も環境も選んで生れてくるわけではないということを吉本はこのノートに書いていると思います。
この「生まれたことに責任はない」という根源的な感情を「イノセンス」と命名して、少年犯罪の分析に使ったのは芹沢俊介です。吉本は芹沢の「イノセンス」という概念の意味を十分に評価しています。そしてでは「イノセンス」であるから少年犯罪は責任を問うことはできないのか、という問題に吉本の考えを述べています。それは「イノセンス」である、つまりこの世に誕生してきたこと自体については責任がなく、罪がなく、ノン・ギルティであるというのは確かであるとしても、ものごころがついた時に「ここに在る
ということにはすでに自分が周囲の世界に働きかけてきた、同時に働き返されてきた関係の歴史というものが生じているということを述べているわけです。その関わり合いの歴史については、まったく責任がないということは言えないだろうということです。そこは腑分けされなくてはならない、というのが吉本の考えであると思います。
ところで「イノセンス」であるということが問題になるときに、たいてい生まれてこようとして生まれてきたわけではないのに、ある時代のある親や環境のなかに産み落とされ、そこで心の傷を負ったということが問題になると思います。だから少年犯罪と結びつけられることにもなります。勝手に産み落とされて、それで幸せならいいかもしれないが、こんなひどい心の傷をつけられてどうしてくれるんだ。罪もないのに罰だけをくらっているようなものじゃないか。ふざけるな、バカヤロー、それで荒れる、暴れる、ひきこもるということになる。
ではもしも幸せだったとしたらどういうことになるんでしょうか。根源的な「イノセンス」のうえに、申し分のない愛情と環境が与えられていたらどういう人間が育つのでしょうか。私たちが文学や芸術で接するのはたいてい心の傷を深いところで負った人物です。文学者や芸術家は自分の心の傷を抉り出すことで作品を形成する。心の傷を覗き込むことで、にんげんの心の奥底を覗き見るような体験をする。そういうことが多いでしょう。文学、芸術は心の傷から生まれるといってもいいからです。しかしそれとは真逆な存在が文学、芸術を志したらどういうことになるのか。吉本の評論のうち「書物の解体学」という著作の「フリードリッヒ・ヘルダーリン」の章がその問題に触れていると思います。
ヘルダーリンは1770年にドイツで生まれた詩人、思想家で、ヘーゲルシェリングと神学校でともに学び、終生の友人であったという人物です。吉本の描くヘルダーリンは「ひとりの稀な人物」としての幼少期をもっています。ものごころがついた時には、理想的な家族のひとりとして両親や兄弟姉妹にとりまかれていた。理想的なということは、彼がありったけのこころをのばし、手をのばして自在に振る舞っても彼の家族たちは障害となる位置にいなかったという意味となると吉本は述べています。彼の家族たちは、彼をとりまいている鏡であり、その鏡には彼自身の姿も正確に写るが、彼の家族たちの姿も、申し分のない姿で写るようになっていた。むしろ彼の家族たちは彼の心身を拘束しないのに、いつも正しい鏡として彼の身辺を充たしていた。これが吉本が幼少期の理想的な家族のあり方として要点を描いたものといえると思います。
こうした理想的な家族に囲まれた彼は(この場合の<彼>というのはヘルダーリンに限らず、こうした理想的な家族に囲まれて育った子供一般という意味を与えられています)やがてアドレッセンスにさしかかり、はじめて単独で四辺を見渡した。天然はすべて彼のために、讃歌を唱っているようにおもえたし、他者はすべて、彼を肯定し、彼に耳を傾け、彼を支えてくれるようにおもわれた。そして彼は自己の意識を、空想と想像にのせて、どこまでも馳せていった。それでも彼の空想や想像に不吉な影をおとしたり、障害をあたえたりするものは、なにひとつなかった。こんどは彼は空想や想像を天上に馳せた。そこにも彼の空想や想像をさまたげる雲や鳥の影すらなかったため、自己意識は、その限度がきわまるところまで、飛翔することができた。彼は、この自己意識のきわまるところで、実感される自己意識の自由さを<神>と呼んだ。<神>、<神さま>、<聖霊>、呼び方は、ときに変わることがあっても、これらは、自己意識が、飛翔しうる極限の自由さであることには変わりがなかった。この自由さは、家族たちや、他者との関係を媒介にして、まったく音楽的な<諧調>を保っていた。これが吉本がヘルダーリンや彼のような幼少期をもった人物の内面として描いた内容です。
ヘルダーリンのもった自然との諧調というものは徹底的にいえば、生理的<自然>との<諧調>を指していると吉本は考えます。そしてその生理的自然との諧調というものは、当時のドイツのキリスト教と癒着した国家の以前に存在していたギリシャ的なるものの本質にあったものだとみなすわけです。ヘルダーリンはやがて理想的な家族の圏外に出ていきます。それは恋愛であり時代的な社会的な状況のなかということです。そして恋愛に挫折し、フランス革命座礁に象徴される政治的社会的な行動の挫折を味わいます。そして30代で狂気におちいり、残りの人生を塔のなかで過ごすという悲惨な人生を送ります。ヘルダーリンの詩から吉本が読み取っていくのは、こうした理想的な幼少期とその後の人生の挫折です。そしてヘルダーリンの詩のなかに当時の後進国家であったドイツに潜んでいた民衆の声を聞き取ります。吉本にいわせれば、ヘルダーリンハイデッガーのいうような、あるいは日本の浪漫派が受け取ったような高貴な国民詩人という存在ではなく、むしろ村落や街々を遊行し、ほがい歌を唱いながら喜捨を乞い、またも、次の村落や街々へと渡ってい<遍歴する乞食詩人>とみるほうがいいということです。こうしたヘルダーリンへのとらえ方には吉本自身の思想形成が重ねられていると思います。
吉本はヘルダーリンのような理想的な家族に囲まれていたとはいえなかったでしょうが、自己意識が自由をもとめて極限の飛翔するときに、現実の国家と癒着した宗教性、ドイツでいえばキリスト教、日本でいえば天皇制を越えるという問題や、古代思想であるギリシャ思想として取り出した自然との諧調の本質である生理的自然との諧調、そこから見いだされる「眠れるドイツの村落や街々で、潜んでいる無声の民の声」というもの。それは吉本の「大衆の原像」という概念に結びついていると思います。そして村々、街々を遍歴する乞食詩人という言葉は、吉本が職業的な表現者としての自分自身に与えた規定と同じものです。吉本はヘルダーリンとはまったく違った家族のなかに育ったのでしょうが、その思想の根本をなすものはきっとヘルダーリンが無意識に体得してきたものを意識として掘り出したのではないかと思います。それは自分の産み落とされた環境を受け入れるために、家族や地元の世界をそのままでいわば古代的な本質を透視するような方法を編み出したように私には思われます。そのままでってところが大事です。そうした吉本の思想形成がヘルダーリンの批評としてよみがえっているのを感じます。