彼自身が諦観してゐたやうに詩人宮沢賢治は本質的にはアジア的領域を脱することは出来ず、かへつて最も根本的な意味でアジア的(日本的)となつてゐます(再び宮沢賢治の系譜について)

宮沢賢治の作品はヨーロッパ風な舞台装置の上に展開されることが多い。また宮沢賢治の感性は当時の日本の文学者のなかで飛びぬけて異質であり、ヨーロッパ的であるといえると思います。しかしその宮沢賢治が本質的にアジア的(日本的)だったとはどういうことか。おそらくそのひとつの理由は宮沢賢治にはヨーロッパの思想家のもつ社会、政治、経済の論理化という契機が足りないからだろうと思います。吉本の「悲劇の解読」という著書の「宮沢賢治」の項に、宮沢賢治のそうした特徴について述べているところがあります。ここで吉本は宮沢賢治のもつ生真面目すぎる道徳的すぎる偏狭さについて触れています。
宮沢賢治のなかには弱小な者、卑しい生活をしている者がもつ「オロオロ」した善意や無償というものにいわば至上の価値を与えたいという感受性があります。それは前にも解説しましたが「猫の事務所」という童話作品のなかに出てくるいじめられて泣き出してしまう「かま猫」の姿に表れています。また「よだかの星」という作品の醜い容貌のために鷹から名前を「市蔵」と変えろと命じられて苦しむよだかのあり方にも表れています。この弱小で卑小な者というのは、現実には岩手の貧困な農民の現実の姿であり、自立した経済生活を営むことのできない自分自身の姿でもあったと思います。宮沢賢治にはこうした弱小で卑小なものがもつ善意や無償というものを、そのまま<天上>へもっていきたいというモチーフがありました。それは価値として至上のものとしたいということです。
ただそのいわば社会の価値の秩序を転倒してしまいたい、いっきに弱小なもの、卑小なもののもつ善意や無償を至高のものにしたいというモチーフが社会構造や政治経済の構造に対する論理的な分析というヨーロッパ的な方法に至ることがなかったことを吉本は指摘していると思います。吉本はウィリアム・モリスの「ユートピアだより」という作品と比較して宮沢賢治の特徴を描いています。ウィリアム・モリスは19世紀のイギリスの詩人でデザイナーで熱烈なマルクス主義者で政治活動もした人だったそうです。なんでモリスを持ち出すかというと、モリスが宮沢賢治に大きな影響を与え、「銀河鉄道の夜」もモリスの「ユートピアだより」の枠組みにならったものだからです。「ユートピアだより」はどういう作品かというと、19世紀の末に「工業地区への単なる附属物」になってしまった農村は窮乏していき、田園の風俗も景観もひとたび亡んでしまう。だがどうしてか突然に急激な変化がおきて、都市の人々が逆に農村に流れ込んでいる現象がおこる。モリスによればこのときに政治的な革命が成っていなければ事態は田園の荒廃につながっていっただろうが、政治的な革命が成就していたので、田園に侵入してきた都会人たちは田園の風土に影響をうけて田園人になっていく。そしてこの田園人の人口の増加とともに都市に逆に影響が流入しはじめ、都市と田園の差異はだんだん消滅していく。そういうユートピアが誕生するという作品だと吉本は説明しています。このモリスのユートピア観には時代的な限界が感じられ、話がうますぎるという感じがありますが、しかしモリスの構想にはヨーロッパとその思想的な清華ともいえるマルクスの思想のもつ世界の論理化という方法があることは明らかです。
宮沢賢治にはこうした方法がありません。吉本の言葉をひけば「宮沢自身のいうある「心理学」上の転換のうえに「灰色の労働」が芸術にまで昇華され、身体の動作それ自体が芸術にまで節奏化(リズム)されるという着想を離れなかった。いいかえればかれの農民芸術は貧弱な風土と生活それ自体の幻想的美化、重ね合わせの形象と、貧弱な土壌からの幻想による離脱をよりおおく意味していたといってよい」と述べています。ある幻想の空間のなかで、現実の社会構造から派生する貧困や圧政や差別の問題がいっきに<天上>へ昇華されることを夢見る、それが宮沢賢治の本質的な方法なんだといえます。しかしそのことが宮沢賢治の思想が幼稚でダメだというようなかんたんなことにはなりません。宮沢賢治のもつ幻想の空間にはヨーロッパ的な社会の論理化という方法は不足していましたが、アジア的な思想のもつ偉大性と超人性のようなものを一身に体現しようとした天才的な思想と、自然科学的な修練を経た科学的思想との渾然とした巨大な文学性が存在しています。かんたんにいえば吉本は宮沢賢治に不足していた西欧的な社会科学の視点を導入して宮沢賢治の文学空間を徹底的に批評したいのだと私は思います。
宮沢賢治に不足していた社会的な論理性は、彼の弱小なもの、卑小なものへの想いを時として生真面目すぎる道徳的すぎる短絡的で偏狭な解決へと導いてしまうことがあったと吉本は述べていると思います。それはたとえば「ポラーノの広場」という作品でのキューストという人物の演説の場面で飲酒や喫煙を弾劾して、禁酒や禁煙や禁欲によってもっと「ほんとうの幸せ」を目指すべきだという主張になったり、「稲作挿話」という作品では「これからの本統の勉強はねえ テニスをしながら商売の先生から 義理で教はることではないんだ きみのやうにさ 吹雪やわづかの仕事のひまで 泣きながらからだに刻んで行く勉強が まもなくぐんぐん強い芽を噴いて どこまでのびるかわからない それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ」という表現になっています。吉本はきびしくこうした宮沢賢治の偏狭さを批判しています。吉本の言葉をひけば「こういうときの宮沢は弱小なもの、いじめられてうとまれているものに、恰好のいい嘘をつくことになっている。支配者や農本的な篤農家や労働者の味方づらをした道徳主義者が、貧民や労働者の弱点につけこむためにつねに吐き出す嘘とおなじことになっている。能率、有効性、必要に強いられて生存しているものに、べつの有効性と能率主義を与えて解放できるとする思想はサギ以外のものではない。総じて抽象的な<論理>と<無効>性を身につけるながい道程のなかにしか弱小なものが解放される方向はない」ということになります。こうした批判のなかに吉本のもつ社会や政治についての論理性の修練が宮沢賢治の世界を切開している姿をみることができると思います。そして宮沢賢治のもつアジア的な思想の偉大さやそれと裏腹の迷妄性と、その迷妄性に鋭く矛盾を感じ苦しむ宮沢賢治の自然科学者としての資質という重要な観点は、吉本が生涯をかけて追求していった批評の課題であったといえます。