古事記のもつ日本は暗い悲劇的な日本を感じさせます 私は日本民族の特性が淡白であり明朗であると言ふ言葉には幾多の不満を感じます 日本民族が深淵や悲劇に堪えないとする言葉は多くは後世の創造ではないでせうか 古事記のもつ執拗な粘着性と暗澹たる人間性(ヒューマニティ)は日本をアジアから更に切離して考へる傾向を否定してゐるやうに思ひます(再び宮沢賢治の系譜について)

古事記についての吉本の思想は「共同幻想論」に詳しく述べられています。古事記日本書紀の解読を通して吉本は日本のまたアジアの共同幻想の構造を取り出そうとしています。「共同幻想論」での吉本は徹底的な論理的な方法で古事記日本書紀の世界に向かっていますが、このノートではもっと文学的な読みとしての古事記が取り上げられていると感じられます。それは後年の吉本に文学的な読みが失われたということではなく、社会科学的な方法の貫徹が第一義だったわけでしょう。そういう問題意識なしに古典の世界を主観的に恣意的に文学的な読みをする文章はたくさんありますが、それでは現在と古典古代あるいはアジア的段階との通路はつかないでしょう。吉本は自然科学の修練と同じ質量で社会科学の勉強を行ったと思います。その厳密さを思うと溜息がでます。えらい人だったなあと思います。

おまけです。
「マリヴロンと少女」より        宮沢賢治

マリブロンは思はず微笑った。
「ええ、それをわたくしはのぞみます。けれどもそれはあなたはいよいよそうでせう。正しく清くはたらくひとは、ひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。ごらんなさい。向ふの青いそらのなかを一羽の鵠がとんで行きます。鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。みんなはそれを見ないでせうが、わたくしはそれを見るのです。おんなじやうにわたくしどもは、みなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です」