唯自分の考へてゐる処を表現しつくして、その時の何とも言へぬ安心から出発してもつと深い自分を見付けて行くのです。文章は少くとも僕達化学者が(化学をするものは皆化学者です。これ以外に化学者の定義はありません)書く時は、その様な安心立命を得るためと、その安心から出発してもつと深い自分を探して行くためであると思ひます。(巻頭言)

この初期ノートの文章は吉本が米沢の高等工業学校にいた時代に「からす」という、「同期回覧誌」というから同じ学年の学生で作る同人誌なんだと思いますが、その巻頭言として書いたものです。まだ若いころに書いたものですが、それでもその後の吉本の表現についての考え方の根本として動かなかった考察が含まれています。それは文章を書く動機を「その時の何とも言へぬ安心から出発して」と書いている部分です。後年の吉本は(文学というのは、その最初は自己慰安から出発する)と繰り返し述べています。文学というものの始まりは、しゃべり言葉では十分に自分の内面を伝えきれないという不満からはじまり、書き言葉のなかにしゃべり言葉では表出できなかった内面を吐き出して安心する。自分が自分に対して慰安を与える、それが文学に向かっていく種類のにんげんの始まりだということです。
吉本の米沢高校の時代は戦時中ですから、文学的な表現をしようとする若者に対しての世間の見かたは、ひとつにはそんな文弱なことにうつつを抜かす時代ではないというものでしょうし、さらにはものを書くならお国の役に立つものを書けというようなものであったと想像します。まして吉本たちは化学者を目指しながら文学が好きなわけですから、肩身の狭い感じがあったと思います。そういう雰囲気のなかで吉本は自分が書き言葉を書く動機を探します。その動機は吉本の動機であると同時に、偉大な文学者たちにも共通する普遍性をもっていなくてはならない、そのように考えたと思います。その普遍性に固執する姿勢は文学者というより化学者のものであるように感じます。そして吉本の到達した考えは自己慰安が出発点だというものです。これは文学というものの始まりに自分と自分との間の関係を置いたということです。自分が自分に向かうひっそりとした時間というものが、どんな文学者でもそのはじまりにあったということになります。そして最初はしゃべり言葉に対する自分の自分に対する違和感が、そして次第に書き言葉として表出される自分の言葉に対する自分のさらなる違和感が取り上げられていくわけです。それは吉本の原理的な志向をもつ考察のなかで、にんげんの心と言語の関係の考察へと向かっていくのだと思います。いずれにしても吉本はたいへんひっそりとした内面的な時間というものを生涯
大切に思い、その思想のなかに取り入れ、また原理的な考察のなかに繰り入れた人です。だからまた他者のひっそりとした内面的な時間というものを視ることもできたのだと思います。
さてそれで「母型論」の解説に移らせていただきたいと思います。だいぶ寄り道をしてしまったので振り返ってみますと、「母型論」の乳胎児期の問題の解説からはじめて、男女の分化という問題に至ったわけです。そこから「近親姦のタブー」という歴史的な問題に解説を進めていたと思います。
ところでこうした問題は掘っても掘っても底が見えないような根源的な問題です。いっぽうで「母型論」という一冊の書物の解説としては、この乳胎児期の言語の発生以前に遡る問題は書物の半分くらいのところに進んだにすぎません。まだ半分の手つかずの「母型論」の記述が残っているわけです。そこでここらで「母型論」の一冊全体の解説をとにかくしておかないと、竪穴ばかり掘っていても、いつまでかかるかわからないということになります。言語発生の以前の問題というのは、吉本が「母型論」ではじめて本格的に取り組んだ問題で、わたしにとっては最も興味深い部分です。だからいずれそこに戻るとしても、いったんは穴から出て、「母型論」の手つかずの部分をおおざっぱでも解説し終えてしまおうという考えになりました。どうものん気な話ですいません。
「母型論」という本の章立ては、母型論・連環論・大洋論・異常論・病気論Ⅰ・病気論Ⅱ・語母論・贈与論・定義論Ⅰ・定義論Ⅱ・起源論・脱音現象論・原了解論となっています。いままでわたしが解説してきたのは、おおざっぱにいって語母論あたりまでです。それ以降はまだ手つかずなわけです。語母論までとそれ以降とは、つまりにんげんの成長における言語の獲得の以前の問題と言語が獲得されるしょっぱなの問題までと、獲得された言語のはじまりの問題とそれに対応する歴史の問題が中心になるものに分けられるとおおざっぱにいえます。もちろん言語発生以前に遡る部分での考察が言語獲得以降の問題の分析にも通底しているわけです。言語の問題に移っていけば、それは吉本が生涯をかけて追求した言語理論の体系につながってきます。とにかくまずはおおざっぱに、というかおおざっぱにしか解説する能力がないわけですが、手つかずのままの「母型論」を見渡してみたいと思います。
まずは「贈与論」ですが、「贈与論」のあとに続く「定義論Ⅰ・Ⅱ」はいっきに現代の社会の経済の分析に入っているわけです。これは吉本の現代の高度資本主義社会の分析として、ほかの書物や講演でも精力的に展開していったものです。おおざっぱにいえば第1次産業、第2次産業、第3次産業という産業構造の変遷を土台にしています。そのなかで第3次産業を中心とするに至った高度資本主義の欧米日の諸国と、第1次・第2次産業中心の段階から離脱できないアフリカ・アジア・南米という国々の関係の問題として「贈与」ということがでてきます。豊かな高度資本主義国から貧しいアジアアフリカの国々への富の移転を「贈与」という概念で考察できるかという問題です。そこで吉本は吉本らしく、「贈与」という概念に徹底的に原理的に根拠づけようとしたと思います。それが「定義論」の前の章の「贈与論」のテーマになると思います。「贈与論」自体には「贈与」という概念のはじまりとして原始・未開の社会の問題だけが取り上げられていて、現代の社会問題との関連は語られてはいませんが、全体のつながりとしてそう考えられるわけです。
たいへんおおざっぱですが、次に進んで「起源論」は何かというと、これはそれに続く「脱音現象論」と「原了解論」へと続くテーマになっていきます。それは乳幼児期の言語の獲得ということと、歴史における言語のはじまりの問題を関連づけようとする考察です。特に日本語における言語のはじまりの時期の問題が掘り下げられていくわけです。「脱音現象論」と「原了解論」は「試行」という吉本の個人誌に掲載されたものです。これは「心的現象論」本論の一部をなしている考察です。そして「試行」は「脱音現象論」と「原了解論」が掲載されている第73号の次の第74号で終刊となって終わっています。吉本の「心的現象論」は終わりのない果てしのないテーマを扱っていますから、これが考察の終わりというわけではないと思います。
「母型論」という一冊の書物の構成というものをおおざっぱにとらえると、まず胎児期と乳幼児期の身体と内面の問題の考察があり、その個体の生育の問題が歴史の問題に連関される方法がとられます。そして「贈与」の問題と「言語の発生期」の問題が歴史の問題であり現在と将来の社会の問題と通底するところで考察されようとしているといえるわけです。この「贈与」と「言語の発生期」の問題が胎児期・乳幼児期の分析から展開するすべてであるというわけではないと思います。もっとさまざまな問題につながるけれども、吉本がその時にもっとも関心を寄せていたテーマに向かって展開してみせたのだと思います。
おおざっぱ(すぎる?)な「母型論」の手つかずの部分の解説をとりあえずやってみました。これではひどすぎるのでもう少し突っ込んでこの「贈与」と言語の発生期の問題を個体と歴史の連環として考察する問題の解説をやってみる予定です。