(大道は無門である もろもろの路があるのみ)(この関門を透らば おまへは宇宙にひとり歩むぞ) 私は無門関の頌を読んだ これから私がどのやうにまごまごとこの関門の前で赤面し狼狽したかを語らうと言ふのだ(無門関研究)

「無門関」については解説するだけの知識がないので、私が若いころに禅寺で座禅した思い出話でお茶を濁させていただきます。品川の禅寺で一日中座禅を組む合宿のようなものに参加したことがあります。障子に向かって坐って、数を一から十まで数えることをくりかえすように言われました。数を数えることだけに集中するわけです。しかしいつのまにか違うことを考えています。これはいかん、ということでまた数をかぞえることに戻る、そのくりかえしです。障子が庭に向いていて、陽のひかりが障子を輝かせています。庭の植物の葉影が障子にゆらゆらとゆれていたのをおぼえています。それは概念を離れる訓練なのだと思います。言葉のない心的な状態になじむ訓練です。頭脳の理解でないところで、ただ坐っているということになじむわけです。
数を数える座禅の次には、息を吐くときに「む」ということばをこころのなかで言うという座禅をするようにいわれました。「む」は「無」なんでしょうが、そういう概念は離れるべきものなので、意味は考えないわけです。だからこんどは息を吐くとともに「むーーーーーー」と心でいうことに集中して座禅します。心でいうと言いながらもほかの参加者から「むー」という声がもれてきます。20人くらいはいる一般の参加者が障子や壁に向かって座禅しながら「むー」ととなえているわけです。外人が見たら異様な風景でしょうね。わたしも一生懸命「むー」といいながら集中しているうちに、なんかノッてきました。ノッてきたというのもおかしいですが、元気がでてきておもしろくなってきたのです。座禅の会には座禅の途中で和尚に会いに行って指導を仰ぐ時間があります。私たち一般の参加者は座禅のビギナーですから「むー」という訓練ですが、僧としての修行をしている人たちは公案を出されてそれの回答をたずさえて和尚に会っていたようです。私はノッて「むー」をやったあとに和尚に会いに行きましたが、和尚はにこにこして「それでいい。そのままさっさと悟ってしまえ」といいました。悟ってしまえといわれても悟るということがさっぱりわかりませんでした。いまもってわかりません。
その寺の和尚さんは小柄でしたが、元気のある快活なエネルギーを感じさせる僧侶らしくない人でした。覚えているのは和尚が講話をするんですが、そのなかで「月っていうのは大昔に戦争があってあんなに穴ぼこができたんだよな」といいました。誰もその話につっこむ人はいません。他の僧侶も参加者も黙って聞いています。わたしは胸の中で(なんてとんちんかんなことを言っているんだろうこの人は)と思いました。そして禅宗の坊さんたちは言葉のない世界に入る訓練を積んでいるんだけど、言葉の世界、概念の世界では逆に幼稚なのかもしれないと感じました。
もうひとつ覚えているのは、参加者たちが最後に感想を述べることになったんですが、30代くらいの参加者の女性が「わたしは座禅でこころの修行をしにきたので、それ以外のことに関心をもってきたわけじゃありません!」と叫んだのです。それは唐突で少し異常な感じでした。たぶん女として性的な目でみられたというようなことに抗議しているんだと感じました。実際にそういうことがあったのか、その女性の妄想なのかは判断できませんが、その瞬間に禅寺という秩序のある空間が、なまなましい現実のこころの病気の世界にむかって亀裂がはいった感覚がありました。
さてそんなところで「母型論」の解説に移られていただきます。母型論の「定義論Ⅰ・Ⅱ」は現在の高度資本主義社会の産業論的な分析で、「贈与論」は原始未開の時代に始まる「贈与」(の母型)の分析です。これらの章はひとつのテーマのもとに書かれていて、それは原始未開から始まった「贈与」という概念が、高度資本主義社会の第3次産業が中心となった先進国家から、第1次産業を抜け出ることができない後進国家への「贈与」という形でよみがえるというテーマです。
しかし「母型論」のこれらの章で扱う「贈与」論は十分なものではない。「定義論」を読めば現在の社会で「贈与」というものが今後の課題として考えられる必然というものがわかる。そして「贈与論」を読めば、「贈与」の母型が原始未開の時代にどのように存在していたのかがわかる。しかし、その「贈与」の母型が現在の社会にどのようによみがえるのかということはわからない。そこまでは「母型論」のなかでは論じられていないわけです。
しかしもちろん吉本のなかではその問題は考えられていたとおもいます。他の著作のなかでその問題に触れているところがあります。「マルクスー読みかえの方法」(1995 深夜叢書社)とう吉本の本の「消費資本主義の終焉から贈与価値論へ」というインタビューから吉本の考察をたどってみます。
先進国家では第3次産業が産業の中心になって、第1次産業、その典型は農業ですが、農業は次第に0パーセントに近づいていく。先進国家が農業ゼロになる段階になれば、後進国家、つまり第3世界とアジアの一部が農産物担当地域になる。それが歴史の経済的必然だろうと吉本は考えています。そうなれば先進地域は農業地域に対して贈与するしかない。それが近未来に考えられる構図だろうと吉本はのべています。
そうするとどうなるかというと、「交換価値」という価値概念が消滅すると吉本は述べています。交換価値という概念では世界規模で展開される「贈与」を説明できなくなるからでしょう。すると新しい価値概念として「贈与価値」という概念を生み出さざるをえなくなります。そうでなくては「価値論」を構成できない。構成できないと世界の理論的な把握ができなくなります。「贈与」というのは交換価値論で考えれば、物でも貨幣でも信用でもいいが、ただでやっちゃうことを意味する。しかし贈与価値論というものを作るとすれば、なにかを贈与するということは、その代わりに、なにかしら無形の価値を交換にもらうということになると吉本はいっています。有形の資産と無形の価値との交換というものが「贈与」だということです。その無形の価値というものは未開原始の「贈与」の母型とは違うものだと吉本はいいます。しかしまた無形の価値の母型というものは、原始未開の「贈与」の母型のなかにすでに存在したものともいえます。その「無形の価値」がどのように歴史的に移り変わって、近未来の消費資本主義社会に登場するか、それが「母型論」に書ききれなかった吉本の構想だったのでしょう。
それは同時に「アフリカ的段階」という概念の構想にもつながるもので、歴史概念を心的なものを含めて作り直す、「歴史をはじまりからぶっ通す」という吉本の最後の課題に含まれるものだとおもいます。
そうした「母型論」では展開されていない構想を踏まえたうえで、「母型論」の「贈与論」をもう少し掘り下げてみます。「贈与論」は原始未開の時代に母系制がどのように成立したかを考察しています。それは性行為が妊娠の原因だという認知がない時代であったから母系制になったのだということです。そしてこの母系制のなかの父(夫)の役割というものが母系制の時代を転換していく役割を果たすとみなしています。父(夫)は子供を産む原因となる存在だとは認知されていない。しかし父(夫)には母(妻)と生まれてきた子供とのあいだの親和感がある。では、生れて来る子供はどこからやってきたとみなされていたか。それは母(妻)の親兄弟親族の霊が子宮に宿ったというようにみなされてきた。つまり妊娠出産される子供は母(妻)の属する氏族の共同幻想からの無形の贈与(霊的なもの)が関わるとみなされていたということになります。
しかしそれが子供が生まれることには父(夫)の属する母方とは別の氏族の霊威も関わると考えられるようになると吉本は述べています。そして母方の氏族から父方の氏族への「贈与」と父方の氏族からの返礼という風習が始まります。
この生存自体が霊的な贈与であるという感覚は歴史の進展とともにどう変容していくでしょうか。それは宗教や芸術のなかにいわば押しこめられた形で抑圧され、一般社会では消失していく感覚なんだと思います。そしてまた原始未開に通用していた霊とか霊威というような概念がそのまま復活することは考えられません。私たちはもっと高度に自然を理解してしまっているからです。しかしもし吉本がいうように現在の産業社会の世界規模の進展が、原始未開からの生存の感覚を切り離して成立してきた産業社会のありかたを変容させ、再び「贈与」の概念を登場させる必然をはらんでいるとすれば、それは宗教や文学や芸術のなかに閉じ込めていた生存の諸感覚を政治や経済という領域に浸透させることを意味するとおもいます。それこそは吉本が全思想をあげて最後の吉本の課題として挑んだものだと私は考えます。それは比喩的にいえば、この世とあの世を行き来することです。生存のなかにこの世とあの世がともに含まれることだと思います。