「芸術は芸術であるが、芸術発生の動機には一つの抑圧に対する反応があった。即ち人間精神の存在についての或る岐路があった。この岐路から出発しない芸術は空しいし、常にこの岐路に立ってゐない芸術家はだめだ」(芸術家について)

抑圧に対する反応と吉本が言っている意味はよくわかりません。私は芸術家ではないですし、普通の勤め人ですから。しかしもし私たちが芸術家でなくても、もし精一杯に考えて、これしかないという選択をもって行動する時に、それは生活において芸術に似たものを描いていると言えるかもしれません。強い選択性というものが芸術の命のような気がするから。そして選択して描いた自分の姿を自分の生活の作品だと考えるとします。それが立派かどうか、それは世間が評価しますが、何故自分はそういう強い選択をしてこの生活を人生を生きてきたのかと問うなら、それはサラリーマンや商店主や公務員でも、胎内に批評家を持つことになるでしょう。人生の動機のその初源を辿って。そしていつもその初源の選択性の上に立つなら、後先どうなるか保証の限りではありませんが、空しい人生じゃないんだと言える、ような、気がします。

ではふろくです。

恋唄            吉本隆明

九月はしるべのなかつた恋のあとの月
すこし革められた風と街路樹のかたちによつて
こころよ こころもまた向きを変えねばなるまい

あらゆることは勘定したよりもすこし不遇に
予想したよりもすこし苦しくなる
わたしが恋をしたら
世界は掌をさすようにすべてを打明け
幸せとか不幸とかいう言葉をつかわずに
ただひどく濃密ににじりよつてきた
圧しつぶそうとしながら世界はありつたけ
その醜悪な貌をみせてくれた

おう わたしは独りでに死のちかくまで行つてしまつた
いつもの街路でゆき遇うのに
きみがまつたく別の世界のように視えたものだ
言葉や眼ざしや非難も
ここまでは届かなかつたものだ

あつちからこつちへ非難を運搬して
きみが口説を販つているあいだ
わたしは何遍も手斧をふりあげて世界を殺そうとしていた
あつちとこつちを闘わせて
きみが客銭を集めているとき
わたしはどうしてもひとりの人間さえ倒しかねていた

惨劇にはきつと被害者と加害者の名前が録されるのに
恋にはきつとちりばめられた祝辞があるのに
つまりわたしはこの世界のからくりがみたいばつかりに
惨劇からはじまつてやつと恋におわる
きみに視えない街を歩いてきたのだ
かんがえてもみたまえ
わたしはすこしは非難に鍛えられてきたので
いま世界とたたかうこともできるのである