現実は人為的に(意識的に)、又は必然的に(無意識的に)歪められてゐる。(形而上学ニツイテノNОTE)

意識的な歪みは意識的な努力で正すことができても、無意識的な歪みを正すことはとても困難だということでしょう。わたしが無意識の歪みをもっているとして、もっているでしょうが、それをわたしはどうして察知できるのか。たぶんそれを知りたいということは、生きていこうとすることの大きな理由なんじゃないかと思います。つまりそれだけ難しいよってことですね。

おまけです。

ほぼ日刊イトイ新聞吉本隆明のふたつの目」(2008)より    吉本隆明

とういう目の使い方をすればいいかというと、それは、「中流の中以下の人が、どういうふうになってるかな、どう考えてるかな」ということだと思います。それが、その「とき」を本格的に観察し、解明する場合に、機能的にいちばんいいと考えています。人事問題から、経済問題まで、すべてそうです。