空想は捨てねばならぬ。だがこれは難かしいことだ。僕らが自分の空想を自覚するのは、将に自分が空想のため死に瀕してゐる瞬間においてである。真に空想してゐる者は少い。それはとりもなほさず真に空想から脱することの如何に難いかを暗示してゐる。(〈夕ぐれと夜との言葉〉)

真に空想している者という時に、戦争を心から肯定し天皇の神聖を心から信じ、それを断ち切られた吉本自身を含めていると思います。時代的な限界のなかで生きるということはすべての人間の宿命ですが、それはその時代の意識がどこかで空想を含んでいるということだと思います。それを逃れることはできませんが、時代的な限界を意識して思想を作ることはできると思います。それを吉本の言い方でいうと思想のどこかに窓というか出口というかそういうものを作って完結させないという言い方になっています。

おまけです。

講演「親鸞の教理について」(1980)より         吉本隆明
もし、知識を〈ほんとうの知識〉として獲得できるとすれば、知識を獲得することが同時に反知識、非知識、あるいは不知識というものを包括していくことなんです。