精神が一部自閉してゐて誰に対しても開かない。(エリアンの感想の断片)

感覚的にいうと精神が扉がしまるように、万力で絞られるように閉じる感覚というのがあります。ギギギギギと閉まると表情が固くなり、現実から心が遠ざかり、それでも入ってくる現実の言葉や関係にいらだちムカつき怒鳴りたくなる。それは誰にでもある瞬間なんだと思いますが、それがいつまでも続くとすればうつという症状だといえるでしょう。そして過去がぐるぐると堂々巡りをはじめ、出口は死か逃避にしかなくなってしまう。この強烈に心を閉じさせる扉の正体はなにか。それは今現在のなかに生きている胎児期、幼児期の問題なんだと思います。少なくともそこに起源をもつ自閉の反復の問題です。それを切りひらくのはいっぽうで理論の問題であり、いっぽうで心を死なせてたまるかという心のなかの現在と過去とのそして描かれる未来との情念のたたかいの問題です。つまりやってみないとわからないという問題なんだと思います。

おまけです。

「よせやい」(2007)より            吉本隆明
テレビを見ると小学生の勉強の教え方の技術がうまい先生が出てくるけど、冗談じゃないぞ、全然間違いだぞと思っています。
そうじゃなくて、遊ぶことの一部分がその時期の勉強することに該当するので、遊ぶことの一部分だと思うのががいいし、それ以上の意味を付けるとロクなことはないと思っています。