そうして僕たちは人類がまだ全く未開のうちにあることを納得する必要がある。しばしば自己の生涯と比較してゐる人々が、人類史があたかも老成期にあるかのやうに錯覚してゐる。この点についてのオツペンハイマーの注意を書きとめておこう。〈正系主義が支配と搾取とを、人種学的および神学的論拠を以て理論づけることは、どこでも同じである〉そうだ。そして現在でもといふ言葉をつけ加へよう。(夕ぐれと夜との独白)

人の生涯というものと思想が取り扱う人類史の長さというものを釣り合わせようという錯覚から若い吉本は早くも逃れているように思います。この老成した感性はどこから来るのか。たぶん吉本は自分の内面の井戸のようなもののなかに、歴史の現在だけでは説明のできない根拠の深さを感じているからだと思います。もっと太古のものを想定しないと自分の心にわけいっていけない。それを導いたものが文学なんだと思います。

おまけです。

「だいたいで、いいじゃない」(2000)より        吉本隆明

ただ精神的条件としては、「俺リストラされちゃった」「クビになっちゃった」っていうんじゃなくて、「俺、クビにしちゃったよ、会社を」と、そういう発想をとれるだけの基盤があると思うんです。