「虐げられた者の持つ狡猾さを女性も亦(また)持つてゐる。人類史はその胎内に女性史を持つてゐる。胎内にといふことは重要だ。誰がこの歴史を修正するか?」(原理の照明)

信じてはだまされ、いいように使われ、いらなくなれば捨てられる。そういう虐げられる立場を何百年も続けてくれば狡猾さを身に着けるようになります。そしていったん虐げられた立場の人間たちが力を身につけた時には、その耐え忍んで身に着けた知恵と戦術に対抗することは難しい。苦労してきた側の人間の方が強いと思います。

胎内にということは、大衆の見えない沈黙の言葉のさらに奥にというような意味でしょう。知識人になるような女性ではなく、ふつうの庶民的な人生を歩む女性のどこにも伝達されずに胸の奥に還るディスコミュニケーションの言葉を人類史の胎内と呼んでいます。そして女性は子どもを産み育てますから、女性が世界を根源から変える力を持っています。見えないディスコミュニケーションの言葉は赤ん坊の中に刷り込まれ、世界を変えていくと思います。

おまけです。

「中学生のための社会科」           吉本隆明
第一章 言葉と情感
(略)
まず、すべての言葉は、「自己表出」と「指示表出」をタテ糸とヨコ糸として織られた織物だとみなすことにする。少し説明する。ここで「自己表出」というのをやさしく解説する。
例えば、きれいな花が咲いているのを見て「きれいな花だ」とか「ああ、きれいだ」と思わずつぶやいたり、心のなかだけで言葉にならず感嘆したとする。もちろん大声で叫んで傍にいる人々が視線の方向を見た場合でもいい。この場合、他人に伝達するために「きれいな花だ」といったのではなく、思わずその言葉を発したり、内心にいいきかせたり、つぶやいたりしたことだけは共通で確かなことだ。言葉のもつこの側面を「自己表出」と名づける。
「指示表出」というのはこの場合、自分だけにしかわからない場合も、傍にいる人々に花の方に視線を集めさせた場合も、自分または他人に花を指示させたことは確かである。言葉のもつこの側面を「指示表出」と呼ぶ。するとすべての言葉は「自己表出」と「指示表出」の度合いに違いはあるが、「指示」の目的が多くて「自己表出」の度合いはそれほど大きくないとか、その反対だとかいうことができる。
極端に考えると数字は「指示表出」だけ。胃が痛いのを「痛い」とおもっただけで他人には全くわからなかった場合には「自己表出」だけと考えられるかもしれない。けれどこまかく見れば「3プラス5は8」を暗算するのと、声に出すのと、ノートに記すのとは「自己表出」の度合いが違っている。胃が痛いと内心でつぶやくのと、沈黙のままでいるのとは「指示表出」の度合いが違う。だから言語はすべてこの両者の織物で、その度合いが違うだけだとみなすのが妥当だといえよう。するとすべての言葉は「自己表出」をタテ軸に「指示表出」をヨコ軸にとると次のように表すことができる。