僕は神の問題から逃れ得た(やうに思ふ)。言いかへれば僕にとつてそれは情感の問題から逃れたことを意味する。何故ならば、僕はスコラ哲学の教祖たちのやうに、理性と神とを一致させることには与(くみ・賛成して仲間になるの意)しなかつたから。(原理の証明)

吉本にとっての神という問題は、いつかは戦争によって死ぬと信じられた自分の宿命に対して、絶対者として解答してくれる存在だったと思います。俺は戦争でどうせ死ぬ。若くして戦争で命を失うのはなんのためか。なんのためと思えば命と引き換えにできるのか。そう何度も自問自答したと思います。だからそれは理性だけの問題ではなく、情感も感情も衝動もすべて託すことのできる絶対的な理由でなければならなかったわけです。そうした吉本や吉本の時代の人たちの巨大な思いを吸収するものとして天皇という神があった。
天皇という存在をどう対象化するかという戦後の課題は、吉本にとって日本的な情感というものを徹底的に論理化する課題でした。論理化するとは大きく時空の思考の枠をもって、歴史や経済や政治の問題に情感の問題を繋げて考えることです。そこから吉本の源実朝論のような優れた古典作家論も生まれてきます。

おまけです。

講演「死を哲学する」より              吉本隆明

死の恐れとか不安という考え方を、どこから人間はつかまえてくるのでしょうか。
それはいつでも他人の死からつかまえてくるわけです。