「今日、あらゆる思想家の所論にもかかはらず精神の危機は存在しない。むしろ、精神は苦悩する希望のうちにあること、やがて歴史はそれを証明するだらう。絶望とはあの倫理の匂ひ濃き希望の別名である。」(原理の照明)

これは吉本が若くて気張っているので文章として分かりにくいですが、たぶん吉本が初期ノートを書いていた敗戦直後の時期に「精神の危機」というものを主張する論調が多かったんだと思います。どういう論調かよく知りませんが、たぶん現代文明の中で精神は追いつめられているみたいなことじゃないでしょうか。そういう考え方に吉本は飽き足りなかったんだと思います。つまりまず現実の中に問題があり、それが精神に反映されるわけで、現実の危機の構造を解明することが問題だと吉本は考えるのだと思います。そして現実なるものも、単に政治情勢がどうのという知識人が上から見たような視点で考えるものではなく、高度な政治問題から日常の肌に接するような場面までいくつもの層をなすように吉本は捉えようとします。だから要するに、現実についても精神についても単調でお手軽なことを言う当時の論調が嫌いだったんじゃないでしょうか。
その次の文章は要するに現実に対して希望的観測などが持てず、まったく新しい考え方を生み出そうと苦悩している精神にだけ希望があるということを言いたいのだと思います。安易な希望など抱かないで考えることを続けることだけが逆説的に言えば希望で、逆に与えられた希望を信じて明るく前向きに組織を組んで活動している精神のほうがホントは絶望的なんだということではないでしょうか。そういう安易な希望が倫理の匂いが濃いというのは、そういう希望的観測というものが冷徹な現実の把握から来るものではなく、善意の動機で行動すればいつか良い社会が到来するみたいな思い込みから生まれているということを指しているのだと思います。
こうした吉本の初期ノートの文章を現在に当てはめてみると同じような状況がいつの時代にもあると感じます。心の苦しみという各人が抱えるものに対してお手軽な分析とお手軽な希望を振りまく者が常にいます。たとえば心の問題は脳の問題なんだという流行の解釈は現代版の「精神の危機」論なんだと思います。そして脳を活性化させることで危機は乗り越えられるというような安手の希望が振りまかれます。そういう論調の特長はいつも同じです。つまりまったくのデタラメを言っているのではないとしても、極めて部分的なことをもってあらゆることの解決につながると信じ込ませるような嘘くささがあるということです。つまりいわしの頭も信心からみたいなまやかしの倫理の匂いが鼻につくわけです。
脳が活性化していないとすれば、それはなんらかの原因からやってくる結果としての身体症状だと考えられると思います。それは認知症と言われている症状についても同様だと思います。つまり生理として機械によって観察される脳内の血行の状態というものは結果であって、その症状を生み出すものは脳というより人間全体が現実の中に置かれているあり方からきているわけです。だとすれば現在でもやはり現実の危機の構造を解明するしか本当の意味で脳を活性化することもできないということになりましょう。多くの人々が心が憂鬱に押し潰されそうになったり、不安に苛まれたりする毎日に苦しんでいるとすれば、その原因の大きな部分は、この現実が押し潰そうとし苛んでいるということから来るわけです。その現実から来る部分は現実に突き返さない限り、すべてを自身の能力のなさとか性格の悪さとか、血液型だとか星のめぐりが悪いとかのせいにして自分の心が背負い込むことになります。そしてますます現実と自分とで自分自身を押し潰してしまうでしょう。
脳はなんで活性化しないか、それはこの現実が巨大な規模で占有され支配され、大きなだましによって収奪されていることと、その現実の真実が覆い隠され、あるいは理解する努力を放棄して部分的な対症療法に過ぎないものを本質的な解決であるかのごとく振りまいているからだと思います。現実の姿が霧が晴れるように見えれば、人々の精神は現実に対して向かう。もっと分析しようとか、もっと闘っていこうとか、なんとか酷い結果を避けようとか。しかし現実が霧に包まれたように見えなければ、人々の心は内側にこもり、より弱いものに鬱憤を向ける習性をもつと思います。だから脳も活性化しないんでしょう。世界というのはこういうふうに出来上がっていて、だから日本もこんなふうに操られていて、だから自分の身の回りもこんな状態なのかという目の前の現実に対する年齢を経た人生経験をもってしても胃の腑にドスンと落ちるような大きな真実の思想というもの、それが八百屋のおばちゃんでもタクシーの運転手でもみんなが共有できる時代があるとすれば、それは貧乏であろうと少子化であろうと明るい時代だと思います。脳を活性化させたいとすれば現実の奥の真実を霧が晴れるように啓示するしかないと思う。
吉本はその啓示のために長い歩みをしてきました。私たちの脳が押し潰されずまだなんとか考えることを続ける希望を持つとしたら、それは吉本のような存在が長く歩んでくれたからです。