「自由は生きることと正しく等しい限界をもつてゐる。」(少年と少女へのノート)

吉本は自由という概念は駄目なので、自立という概念がいいのだと言っています。それは自由という概念には目に見えない関係を生きることを強いられるという観点がないからです。自由に生きるというのは主観のなかでのみ可能なので、生きてみれば分かりますが、生きるというのは目に見えない関係に強いられ、あるいはそれと戦いといったことになる、というのが吉本の考えです。だから見えない関係を見ることが重要で、それが自立という概念になるのだと思います。


おまけです。
「遺書」             吉本隆明

生涯が終わりそうになったとき、「はじまりそうになればいいね」といえたら男女のことは理想でしょう。
わかりにくいかもしれないので、もう少し、いってみましょう。人間の関係は、それは男女の関係でも、やはり「死ねば死にきり」ということで、それで終わってしまうでしょう。しかし、個々の人間は「死ねば死にきり」でも、一対の男女の関係は、どこかで救済したいという思いがあります。その終わりのときに、二人の関係に「はじまり」という要素が出てきたら、それが救済なのではないか。終わりに近くなればなるほど、二人の間に「はじまり」の要素が出てきたら、大したものではないでしょうか。これは願望で、実現できそうだというのと違います。これが「はじまり」といえるかどうかは、異論があるでしょうが、時々、新聞などに老夫婦の心中などが取り上げられています。こうしたことなどは、二人にとっては、ある「はじまり」ではないかと、僕には思える。