2012-01-01から1年間の記事一覧

やがて痛手は何かを創造するであらう。自然のやうに人間は抑圧をエネルギーに化するものだ。(原理の照明)

この初期ノートの部分、心の傷はやがて現実に対するたたかいのバネとなるという考えはこの頃の吉本の文章によく出てくるものです。この考えには科学の徒である吉本の特色があらわれていると思います。こころをエネルギーと考えれば、抑圧はやがてどこかにエ…

暗澹たる道で僕はもう何も感じられなくなつた精神を歩ませてゐる。行き遇ふ者達は未知らぬものばかりだ。(原理の照明)

「母型論」のなかの「病気論」に、「病気のばあいの基本的な型は、外界の現実にたいして感覚系の働きがすべて撤退してしまい、その代わりに内臓系の心の働きの分野に新しい架空の現実をつくっている状態にたとえられる」という文章があります。精神の異常と…

夕ぐれが来た。見るかげもない悽惨な僕の心象。だが理性は僕に尚いろいろの思考をやめるなと告げる。政治経済学のこと。革命のこと。それから大変困難な歴史的な現実の分析。ひとつとして他の誰も満足すべき役割を果してはくれない。僕は思はずこの国の学者や、芸術家たちへの非難を並べたくなつてしまふ。だが待ちたまへ。僕は想ひ起こす……(夕ぐれと夜との独白)

吉本隆明は亡くなってしまいましたが、吉本の提起した思想の課題と彼自らが挑んだ思想の展開とはいまだ生きているわけです。つまり「生き体 でいるわけで、思想としてはとっくに「死に体 になっているのにゾンビのようにメディアや権力の周囲に群がっている…

友らはやがて未知らぬ地平に散らばつてゆくだらう。僕は又未知らぬ地平で営むだらう。(原理の照明)

どう営むか。それは現実的に営んだのは根津千駄木の下町の家ですが、観念が営んだのは荒野にテントを張るような単独行だったと思います。「擬制の終焉」という論文だったと思うんですが、昔々安保闘争のあとに書いた吉本の文章のタイトルのわきに書いてあっ…

死はあまりにも普遍的なものであるから、誰でも死のまへでは貧しい人々になるものです。それは死においてすべては均質化せられるので、その前提として勲章や位階や富などが沈黙する外はないのだらうと思ひます。(〈少年と少女へのノート〉)

吉本さんの追悼文として少し書き足します。吉本さんが考えたことは著作を読むしかない。しかしあれだけのことを考えて考えて死んでいった吉本さんの生活人としての姿は、吉本さんの観念のあり方ほどはよく分からない。しかしそれでも垣間見えるものはありま…

僕は眼を持たない。眼なくして可能な芸術。それは批評だ。(原理の照明)

吉本は視えないものを視、聴こえないものを聴く。分かりやすくいえば、どこにも書かれていない発言もされていない秘された個人の心の奥に触れることができる。私の若いころ大学闘争が盛んだったころ、教授がつるし上げられたり教室がバリケードでふさがれた…

言い慣らされてゐる言葉のやうに僕もやはり有りふれた言葉をつげよう。再び出遇はない星に対しては〈アデユ〉を、また遇ふべき星に対しては〈ルヴアル〉を用ひて。(エリアンの感想の断片)

吉本隆明が亡くなった。3月16日の金曜日だそうだ。私が働いているデイサービスの近所の日本医科大学病院に入院していてそこで亡くなったらしい。なにも知らなかった。 吉本さんが亡くなったと知ったのは18日の日曜で副島隆彦の学問道場というホームページの…

僕は風のやうに死ぬことを欲する。(〈少年と少女へのノート〉)

風のように死んだのかどうかわかりませんが、死というものについて充分な思想的な遺産を残してくれたと思います。吉本さんの講演集を以前弓立社から出たのを買ったことがあるけど、糸井重里事務所から出ていることを知ってだぶっているのを承知でまた買って…

疎外された階級は何らかの復讐心を持つであらう。これは種々の形態で発動されるものである。

現在の日本は小泉・竹中政権以後、それまでの中流階級意識が9割を超える中流社会から貧富の格差の拡大した社会に転換させられた。これはアメリカの格差社会と同型のもので、小泉・竹中がアメリカの意向に服従して日本社会を変質させたものと私は考えます。そ…

僕は嫌悪ということに自らを喰われた。(〈老人と少女のゐる説話〉Ⅵ)

嫌うということは愛するということと両価的なことであり、それは内臓系のこころの跳出であると吉本は述べています。嫌うこと憎むこと、それは対象に向けた内臓系の心の動きである。そして対象を見失ったときに、自分自身に向けられる。それが自己嫌悪、嫌悪…

僕は倫理から下降する。そしてゆきつくところはない。(断想Ⅳ)

倫理とは「こう生きるべきだ」という心の規範ですが、この規範を信じて即座に行動に移す者もいるし、規範に従って生きられないことに罪を感じ押し潰される者もいる。また、この規範を疑いなぜそのような倫理が存在するのかと根拠を問う者もいます。根拠を問…

従属する精神を、嫌悪すべき反倫理と規定することも又。(断想Ⅳ)

この日本がアメリカに従属する精神をもつ奴らだらけの国で、そういう奴らだけが政財界の上層部に登れるようにできているということを、これほど私が思い知ったのはこの十年くらいのことだ。なるほどね。そうだったのか。やっと納得いったよ。それとともに怒…

何故に快楽が節せられなければならないか。僕はその理由がわからない。あらゆる思想家は納得される理由を示したことはない。唯彼ら自身の素質を示しただけだ。(断想Ⅳ)

ここで快楽と呼んでいるものを胎児期から乳幼児期までの母親からのエロス覚の備給、あるはフロイトの「リビドー」という概念に置き換えて「母型論」の内容に入っていきたいと思います。快楽を節するということをエロス覚の備給における抑圧の問題と置きなお…

ぼくが感ずるのはいつも遠くからの信号だ。ぼくには視力がない。聴力がある。(〈寂寥についての註〉)

最近、園子温(そのしおん)という監督の作った「冷たい熱帯魚」というDVDを見て素晴らしいなと思いました。ネタバレということに多少なりますが、私が惹きつけられたのは自我感情というものが委縮して弱々しいにんげんというものがいて、そいつが豹変す…

老人は枯れた声で言つた。〈お前のやうな年齢(としごろ)で感じてゐたことは、やがてわしらの年齢(としごろ)になると透明な屑になつて空のなかほどに浮んでゐたりする。やがてお前はそれを視るようになるよ。そんなときどんな風に感じるのかつて言ふのかね。みんな枯れてしまふのさ。世界はすべて枯れてしまふ。〉(〈少年と少女へのノート〉)

これは前に解説したように吉本の自伝的なフィクションである「エリアンの手記と詩」の世界のなかで書いている文章です。老人はおそらくオト先生というキャラクターで、20代の吉本はここでオト先生の言葉を借りて「老い」について空想しているわけです。文…

空虚な精神はその根源を生理のうへに持つ。だが、それにもかかはらず、精神はその空虚の否定を精神によつて行はねばならないだらう。(原理の照明)

「名探偵モンク」という海外のテレビドラマを知っていますか。これは強迫神経症を病んでいる元刑事が探偵となって難事件を解決するドラマです。それから「幼獣マメシバ」とその続編の「マメシバ一郎」という日本のテレビドラマを知ってますか。これはひきこ…

僕らは離脱しようと欲するけれど、決して離脱することは出来ない。唯それは内的な限界を拡大し、多様にするだけである。(断想Ⅱ)

これは何から離脱しようと欲しているのか、この文章からは分かりませんが、この前の断章を読むと「決定的な宿命」なるものからの離脱ということだと分かります。決定的だから宿命なわけですが、この宿命が何を指しているのかは明瞭ではありません。ただ吉本…

僕は唯欲するがままに為すにすぎないけれど、欲するがままといふことは次第に一つの目的を形成するに至り、それは同時に苦痛をも伴ふに至る。即ち一つの労働に転化される。労働の感じを伴はないものは天才の作品を除いては決して存在しない。(断想Ⅱ)

労働の感じというのは、表現においては日常性が表現に込められていく過程です。では天才はなぜ労働の感じを伴わないのか。それは日常が始まる以前の源泉から表現を行いうるからじゃないかと思います。誰も知らない大洋というものを推察させてくれる存在はひ…