暗澹たる道で僕はもう何も感じられなくなつた精神を歩ませてゐる。行き遇ふ者達は未知らぬものばかりだ。(原理の照明)

「母型論」のなかの「病気論」に、「病気のばあいの基本的な型は、外界の現実にたいして感覚系の働きがすべて撤退してしまい、その代わりに内臓系の心の働きの分野に新しい架空の現実をつくっている状態にたとえられる」という文章があります。精神の異常と病気をどう区分するかという文脈です。つまり妄想を作るということですが、内臓系と外壁系という概念を持ち込むことで、妄想概念に新しい観点を付け加えているのだと思います。
この内臓系の心の動きだけがあり、外壁系の感覚が撤退するという状態は思考を掘り下げるとか文学を掘り下げるという状態に近い。つまりそういうことにのめり込む状態は精神異常と紙一重、いわゆる「天才とキチガイ紙一重」ということではないかと思う。吉本もこの時期にそういう危うさのなかにいた。こういう危機をどのように脱したか。その苦しさのなかの経験が吉本の親鸞論に含まれていると私は思います。親鸞の弟子の唯円との問答が「歎異抄」のなかにあり、まあ要点だけいえば親鸞は「唯円よ、にんげんってのはね、機縁があれば人を千人殺すこともできるが、機縁がなければおまえの言うように一人殺すこともできないもんなんだよな」と言ったということです。「機縁がなければ」という一節が吉本を救ったと思う。内臓系の表出に撤退し、そこだけで小世界(しかし観念としては全世界)を作って自足する状態は「千人を殺すこともできる」という状態だ。しかし現実世界と関わる限り、つまり「機縁」の世界に心身を置く限り「一人を殺すこともかなわない」ことになるし、また「千人を殺すこともありうる」という可能性にも開かれている。だったらにんげんとは何か。観念の世界とは何か。「関係の絶対性」という吉本の「マチウ書試論」の概念もここから構想されたと私には思えます。ひらたく言えば、現実に関わるという日常のあり方から隔離して観念のなかでこしらえる倫理や理念はダメダメだということですよ。では現実と関わるということのなかで一般大衆は活字にならない領域でリアルに悩み、インテリたちは鈍感に通り過ぎる諸問題の、そのほんとうの生きる苦しみに透徹した観点を与える場所はあるのか。それがあるんじゃないかというのが親鸞の「正定聚の位」という浄土概念です。吉本はそう考えていたと思う。じゃあそれはどこにあんのよ。生でも死でもないって(^。^;) しかしもし死が生誕の恐怖なのだとすれば、生と死のあいだとは、生誕の恐怖が癒された場所にあるんじゃないかと思う。それは絶対的な受動性としての胎乳児の場所、いわば絶対他力の場所、食とリビドーの二重性を受容することを肯定する場所、すなわち「大洋期」の場所じゃないでしょうか。そこに接する思想化によって、来るべき一般大衆が中心として社会に登場する世界に備えたいというモチーフを抱いて吉本は亡くなったんじゃないかな。どうもそう思えます。でも間違ってるかもしんないし、そんなときはすいません。

おまけです。

「マチウ書試論」(1990)         吉本隆明
人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理を立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意思は選択するからだ。しかし、人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾を絶ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とは何か。もし人間の生存における矛盾を絶ちきれないならばだ。