僕は嫌悪ということに自らを喰われた。(〈老人と少女のゐる説話〉Ⅵ)

嫌うということは愛するということと両価的なことであり、それは内臓系のこころの跳出であると吉本は述べています。嫌うこと憎むこと、それは対象に向けた内臓系の心の動きである。そして対象を見失ったときに、自分自身に向けられる。それが自己嫌悪、嫌悪に自らを喰われることだと思います。人を呪わば穴ふたつ。しかし憎むべきものを憎み、愛すべきものを愛すのが対象化して考えるようになったヒトの能力というものでしょう。退行して対象を自己に向けないようお互い気を付けましょう。お大事に。

おまけ
「母型論」より            吉本隆明

病者にとっては性の欲動をうけとめ還流させてくれる対象としての他者(異性)はどこからやってくるかを問うことは、乳(胎)児にとって〈母〉が不在なためにホモジニアスな性に充たされ、とり囲まれてしまった大洋面にぽつんと孤立した状態で、〈母〉はどの世界から呼び求めればいいのかと問うのとおなじことを意味している。これはほとんど絶望にちかいほど困難なことのようにおもえる。