死はあまりにも普遍的なものであるから、誰でも死のまへでは貧しい人々になるものです。それは死においてすべては均質化せられるので、その前提として勲章や位階や富などが沈黙する外はないのだらうと思ひます。(〈少年と少女へのノート〉)

吉本さんの追悼文として少し書き足します。吉本さんが考えたことは著作を読むしかない。しかしあれだけのことを考えて考えて死んでいった吉本さんの生活人としての姿は、吉本さんの観念のあり方ほどはよく分からない。しかしそれでも垣間見えるものはあります。どんな偉大な思想者でも生活人としては誰も同じように歯を磨いたり風呂に入ったり飯を食ったりしなければならない。生活収入を確保しなければならないし、近隣や会社や親族とのつきあいも避けられない。結婚すれば家族が生じるし、病気になれば苦しむし、家を建てたり財産を守ったりすることも気を回さなければならない。吉本隆明もそれを生きてきたわけです。
そこでは超然とした生き方なんてできない。頭を下げたりおせじを言ったり儀礼的な挨拶を交わしたり、支配秩序の強制に苦虫を噛み潰しうっぷんを溜めながらも従わなければすまない。仮面のようになっていく表情を貼り付けながら、それでも習慣と化した一日を繰返しに今日も満員電車に揺られていく。とはいえ悪いことばかりじゃないわけで、おいしいものを食って嬉しかったり、子どもの成長を喜びペットのしぐさに笑ったり、仲間と飲んで愉快だったりそういうこともあるわけですね。みなさんよく知ってることだ。いわく「生活

私は吉本さんと交際のない一読者なんですけど、講演を何度か見に行ったことがある以外に、一度だけ街中で遭遇したことがあります。当時吉本さんの好んで住んだのは文京区の下町の千駄木で、私の実家はその近所です。30年位前のある時、私が下を向いてなんか考えながらあるいていたら根津権現の前の坂の下で前から押してくる自転車とぶつかった。その自転車を押していたおっさんが吉本隆明だった。吉本さんはむっとした感じで私をにらんで、わたしも(あ、吉本だ)と驚いて謝罪もせずにすれちがった。生活人としての吉本をじかに見たのはこれだけです。
吉本隆明の思想は今でも弧絶している。誰もその真価を計ることができないから。やがて時間がその真価を伝えていくだろう。しかし吉本の思想は生活に向かって開いている。大衆とか庶民とかいうものに向かって開いています。その思想としての通路は感性や感情がなまなましく通っているが、理路としてそう単純なものではない。吉本さんの世代は国とか民族とか共同体というものを倫理として考えることを支配秩序から強制された世代だ。自らの命をあきらめる、という究極の戦争状態のなかで命と引き換えにする共同体をどう考えるかということを考えるしかなかった。それは戦後生まれの私たちとまったく違うところだと思います。私たちにはそこまで共同体というものを深刻に自分に問いかける契機がない。しかし契機があろうとなかろうと共同体、あるいは社会とか国家というものから逃げられる個人はいないわけで、いずれは共同体のなかでどう生きるかという課題に逃げても逃げても掴まらざるをえない。掴まって始まるものが生活ということだと思います。
逃げ回ったあげく還暦近くなってとうとうどっぷりと共同体の課題にとっ掴まった私としては、吉本が同時代の社会をともに生きる人々のことをどのように考えたかが気にかかります。それは民衆とか大衆とかについていろんな知識人が語るどんなの主張とも違う。なんか一回り違うんです。同じことを言っているようでも思想として一回り違う気がする。
この世間の自分以外の人たちをどう考えるか。どうつきあうか。どう戦うか。そのことの根拠となるものは何か。貫けるものはなにか。偽善に陥らず、裏切らず、孤立しても貫ける根拠となる共に生きている他のやつらへの思想とは何か。原個人といえるような自分の生まれ育ち、感性や性格の個性、そういう自分自身の底をさらうようなところで掴み取ることのできる、自分ひとりの内面にとどまらない世間への思想というものはなにか、ということです。そういう観点で納得できる思念というものをあまり受け取ったことがありません。特に政治に寄り集まる連中とか知的な人ほど納得がいかないことが多いわけで、民衆とか大衆とか言っているけど、ご自分は大衆だとは思ってないだろうとしか思えない。
おそらく吉本の大衆という考えには自分自身のなかの大衆性とか反知識性というものを深く考えたことがこもっていると思います。それが一回り違う感じを与えるんだと思う。たしか小林よりのりへの批判のところで、吉本は政治問題というようなことを考えるのは一日のうちでほんのわずかで、それ以外の時間は生活のこまごましたことに関わっているのだと書いていました。その通りなんで、そのこまごまとした生活にかかずらわっている時間というものを思想のまな板にどう乗せるかということが、どう他人と生きるかという問題につながるのだと思います。知というもの共同観念というものもひとつの閉じた瓶なので、そこからすべてのこまごました生活全体を裁断することはできないものだ。それは心というものが単に脳機能と外壁系の感覚の関係だけで取り扱えるものではなく三木成夫の仕事による内臓系の表出が関わるのだ、という晩年の吉本の考察につながる。言語としては自己表出性というもの、解剖学的には内臓感覚の表出的なもの、そして生活としてはこまごました日常のくりかえしのなかに篭るもの。よくわかんないけど、そうした狭い通路を通って、吉本はどう他の人と生きていくかの自己倫理をこしらえていたんだと思う。
講演CDを聴いていたら、ヘーゲルについて吉本が法の概念について大胆なことを述べていました。ヘーゲルはたとえば百人の人間がいたら百通りの意思があるが、その共通する部分がある。その共通する意思を共同意思あるいは一般意思と呼んで、それが法というものの基底だと言っている。そう解説したあとで、吉本は自分が参加したサド裁判、あるいはそれ以前のチャタレー裁判について述べています。検察側がサドやロレンスの文学作品のこれこれのページに猥褻な記述があった。だからこれは猥褻罪だと言う。それに対して自分たちはその作品の全体を読めば猥褻ということではない、文学的な価値というものがあるのだと反論した。しかしこの反論は不十分だったのではないかというのです。では十分な反論はなにか。それは言語というものを非常に緊張して用いて高度な表出に達したとすると、その高度な言語の表出も法とみなすべきではないか、ということです。これは法概念としては破天荒な見解ですが、わかる気がする。
法言語の使い方はすべて指示表出性なんだと思います。言い換えれば実証的な言語観です。その法という概念自体に自己表出性というものを差し入れたら、吉本の主張する法概念が成立します。それは意味ではなく価値としての法の概念です。文学から得た、また人生から得た、価値というものを、どう科学として理論としてこの世界に差し込んでいけるか、それが吉本の大きな仕事の意味だったような気がします。
だったらもとに戻って、どう世間の人とつきあうかという課題にも価値という思想を差し込んでみたいと思う。それがさまざまな混乱をまねいても。吉本さんが亡くなった今、吉本隆明の一番根底のものくらいは引き継いでいきたいと感じます。私のあたまがよくないから分からないところが多いとしても。あたまだけではない、わかるということはきっとバカでもわかる、ということなんじゃないかな。

そうそう、初期ノートの解説ですね。これはもう読めばわかると思います( _ _ )/
森鴎外が遺言で一切の肩書は不要だから「石見の人、森林太郎」とだけ墓に刻んでくれといったということと同じです。
次回からはあなたが読みたかろうが読みたくなかろうがまた「母型論」でいきたいので、そこのとこヨロシクσ( ̄▽ ̄) 興味というものはいったん航海に出ちゃうとそうそう港には戻れないんだよね。