友らはやがて未知らぬ地平に散らばつてゆくだらう。僕は又未知らぬ地平で営むだらう。(原理の照明)

どう営むか。それは現実的に営んだのは根津千駄木の下町の家ですが、観念が営んだのは荒野にテントを張るような単独行だったと思います。「擬制の終焉」という論文だったと思うんですが、昔々安保闘争のあとに書いた吉本の文章のタイトルのわきに書いてあった「雪山讃歌」という歌の文句を覚えています。それは頭脳の論理と体壁の感覚と内臓系の感覚の表出が許しあったもの、つまり詩になっていたと思います。
「テントのなかでも月見はできる 雨が降ったら濡れればいいさ(雪山讃歌)」
あ〜また追悼っぽいことをf(^^;)  おセンチだよな俺も。

おまけです。
吉本があげた「母型論」を書く前の三つのモチーフに付け足したものです。
「母型論」の「序」より          吉本隆明

もうひとつの欲求につなげるためにいうと、言葉と、原宗教的な観念の働きと、その総体的な環境ともいえる共同の幻想とを、別々にわけて考察した以前の自分の系列を、どこかでひとつに結びつけて考察したいとかんがえていた。どんな方法を具体的に展開したらいいのか皆目わからなかったが、いちばん安易な方法は、人間の個体の心身が成長してゆく過程と、人間の歴史的な幻想の共同体が展開していく過程とのあいだに、ある種の対応を仮定することだ。わたしは何度も頭のなかで(だけだが)この遣り方を使って、じぶんなりに暗示をつくりだした。