「何にでも見付けられる困難だけを信じよう」(少年と少女へのノート)

この言葉は、読んで思い出しましたけど、若い頃「初期ノート」を読んだ時に共感した言葉です。
吉本隆明は思想と現実についてこう考えています。
思想というのは個人の内面にあるうちは、どのようにも考えを広げることができる。その限りでは思想は個人の自由である。
しかしその思想を生きようとすると、現実と激突する。激突して生きていく結果は、その思想とは異なるものにならざるをえない。だからその人の生涯というものは、その現実的な結果を見るだけでは分からない。生涯は、その人の抱いた思想と現実とが激突して描いた軌跡だからだ。
ただこういうことが言える。もしその思想が借り物でなく、その人にとって取替えのきかない資質の核心をもったものであるならば、現実と激突してただ押しつぶされるのでもなく、流されるのでもなく、一筋の必然的な軌跡を描くはずである。
こういう抽象的な言い方の背景には、夏目漱石とか太宰治とか宮沢賢治といった吉本が傾倒した文学者や、吉本の私的な人生で出会った家族や私塾の教師や友人らの生々しい戦争・戦後の姿があるわけです。
「初期ノート」の中にあるんですが、「哀しき人々」という文章で、吉本が戦時中の学生時代に、下宿で3人の友達が集まり「もしこういうものに俺はなりたいということがあったらここで言い合おうではないか」と一人の友達が提案して、それぞれが答えたという回想があります。
吉本はこう答えています。「頭髪を無雑作に刈った壮年の男が、背広を着て、両手をポケットに突っ込んだまま、都会の街路樹の下をうつむいて歩んでいく。俺はもしなれるのならそんな者になりたい」
分かりますか、これ?若い頃、ここのところで感動しましたよオレ。
吉本オタクでないと、これが超イイ、というふうには思わないでしょう。しかし、これは一筋の必然的な軌跡を描く生涯に対する赤裸々な情動のこもった言葉です。
どこにでも見つけられる、というのは現実や生活や大衆が海だからです。困難だけを信じる、というのは内面の自由な思想を信じるのでもなく、一筋の軌跡を描く激突を信じるということです。そう私は解釈します。
いいなー、吉本隆明は。最高ッス。