絶望はその冷酷度を増した。一九四八年から一九五〇年初頭におけるニポニカ。アルダンとソルベエジユの対立の激化。アルダンに強制された経済政策。エリアンの心は救ひがたいまでに虚無的になつてゐる。(序章)

ニポニカというのは日本のこと、アルダンとソルベエジユというのはアメリカとソ連。エリアンというのは吉本が書いた「エリアンの手記と詩」という長編散文詩の主人公で吉本自身を仮託したものです。初期ノートのこの部分は「エリアンの手記と詩」のモチーフの延長として書かれているわけです。なんで日本と書けばいいものをニポニカというふうに書くのかというと、そのほうが自分独自のイメージや概念を込めやすいからだと思います。「日本」と書くと、その言葉には今までの歴史的なさまざまな意味や価値が付着していますから、いわゆる手あかがついているわけです。それを避けて自分独自の世界を作りたいということがこうした造語や自伝的なフィクションを作る理由だと思う。
吉本は「マチウ書試論」という新約聖書を題材にした評論のなかでも同様な造語をおこなっています。マチウというのがマタイ伝のマタイのことです。キリストはジェジュという名前で書かれています。こうした名前を造語で書く評論はたしかそれくらいで、あとは書いていないと思います。なぜかというとたぶんそういうフィクション化をしなくても自分の世界を書きえる自信を吉本が得たからだと思います。それといちいち造語で書くのはめんどくさいし、性に合わないことだったからのようにも思えます。
書かれていることは敗戦後のアメリカの対日政策の転換です。アメリカは自分たちが打ち負かした日本を当初は極東のほどほどの規模の経済国にとどめようとした。再び軍事大国化することを抑止しようとしていた。しかしソ連アメリカとの対立を深めていくなかで、対日政策を転換し日本を経済的に押し上げることと政治的に裏から支配し続けることで極東における共産化の防波堤にしようとした。そして資本や技術を日本に投下し経済大国への道を進めさせていった。朝鮮特需などをバネにして日本の経済力は驚異的に回復し、高度経済成長へと突入していく。だいたいこんなことが定説になっているんだと思います。しかし現在ではこのアメリカとソ連との対立というものが国際的な金融財閥による世界支配として大きく仕組まれていたものではないかという観点が副島隆彦などによって提出されています。それはとんでもない陰謀論として軽蔑されてきた観点ですが、私には真実が含まれているように考えられます。
吉本はなぜこうした米ソの対立とそれに追従させられる日本という構図に対して虚無的になっていくのか。それは資本主義陣営と社会主義陣営の対立という世界認識、おまえはそのどちらに加担するのかというような政治的な主張にまったく同調できないからだと思います。同調した人たちは自民党に加担し、あるいは社会党共産党に加担しというように立場を決めていく。しかし吉本にはそれは違うという直観的な異和感があっても、それを自信をもって主張となす段階にはなかったのだと思います。だから虚無感となってあらわれる。世界というものはどう認識すれば自分の虚無感を脱することができるのか。そのためにはその後の吉本の学んで学んで書いて書いてという膨大な時間が必要だったのだと思います。そして晩年の吉本には世界はどのように認識されていたのか。それを知りたい。でしょ?
というようなことでなんかちょっとズルい感じで誘導して「母型論」のほうへ話を移している、そんなわたしなのです(昔のフォーク調)。
吉本は乳胎児期からはじまる人間の精神の発達というものと、人類の共同体の歴史というものを対応づけることが可能だという考え方をしています。前回も書きましたがこのことは吉本が心的現象論などで考察してきたにんげんのこころというものと、共同幻想論などで展開してきた共同体の歴史というものが「母型論」などの乳胎児期の考察を舞台に結びつくことを意味していると私には思えます。三木成夫の業績によって、にんげんの胎児は人類史ではなく生命史の過程をすばやく辿るのだという驚くべき認識を私たちは手にしています。三木成夫によれば胎児は古生代の魚類、中生代の爬虫類、新生代の哺乳類という段階と比較されるべき時期を胎内においてもってます。受胎の日から30日をすぎて一週間のあいだに、一億年を費やした脊椎動物の水からの上陸誌を再現するとしています。つまり魚類から陸地に上がって両棲類から爬虫類になる段階に相当するのがだいたい受胎36日目あたりで、その胎児の「上陸」の激変が母体の「つわり」となってあらわれるということです。そして上陸した胎児は爬虫類から哺乳類に移る段階を経て人類となっていきます。吉本の考えはこんどは人類となった乳胎児以降のひとの精神的な発達が人類史のある段階までの歴史過程を通り過ぎていくものだと捉えていくことになると思います。するとにんげんは成人に達するまでに胎児期を含めると、生命の発達史と人類の共同体の歴史の過程と対応づけのできる通り方をするといえるわけです。
ではどのような共同体の歴史との対応づけができるのか。今回全部書ききれませんからだんだんに進めていきますが、吉本は胎児期、乳児期、幼児期、児童期(学童期)、思春期という精神発達の段階を、それぞれ歴史のある発達段階との対応づけを試みています。その歴史段階とは氏族(共通の祖先をもつ血縁の共同体。しぞく又はうじぞく)の共同体から、氏族共同体が連合してあるいは統合されてその上の共同体、部族共同体へ移行するまでの歴史段階です。部族共同体に移行したということは吉本の考えでは幻想共同体である国家というものが形成できる可能性の段階にきたということを意味しています。
では思春期以降のにんげんの精神についてはどう考えたらいいのかというと、もはや個々人の性的な行動と共同体とを対応づけることはできないと吉本は考えています。そしてこれは吉本の歴史論ではなく現在の社会と未来の社会像に関わる考察とつながってくる問題となります。これはまた大変興味深いことですが、考えたり書いたりすることには順序というものがあるので後回しにさせてもらって話を戻します。
この歴史段階との対応づけという文章は「母型論」より吉本の講演の筆記である「心とは何か」(2001年 弓立社)のなかに述べられています。にんげんの乳胎児期というのは母親との接触が受け身であるという特長と、まだ言語を獲得しないで内コミュニケーションによって母親とコミュニケーションするという特長と、全世界が母親と同一だといえる時期だという特長をもっていると思います。もちろんひとくちに乳児期といっても出産直後と言語を話す直前のころとはずいぶん違いますから一口にはいえませんが、おおきくはこうした特長をあげることができると考えます。
では乳胎児期(胎児期に共同体との対応をつけることは難しいですが、胎児期に準備されたものが幼児期に母親との接触を通じて展開されるという意味で乳胎児期というのだと思いますが)に対応づけられる氏族共同体とはどういう共同体かというと、氏族共同体は原始共同体と古代的共同体の半ば頃から始まるとされています。共同体の特長をエロスの関係、特に婚姻の関係としてみていくと、氏族共同体は他の氏族の共同体の人と婚姻をしてはいけないという禁制が設けられた段階だということです。それを氏族内婚制と呼びます。しかしその禁制があっても氏族の若者が漁とか猟とかにいって他の氏族の女性に出会って一緒になりたいということはありえます。するとそれは共同体の掟に触れて若者は共同体から追放されてしまう。だから他の氏族の女性(あるいは男性)と関係したということを否定するしかないわけですが、その否定の仕方のひとつとして自分はにんげんでなく神様と結婚したんだと言い張るということがありえたと述べられています。これが神婚神話というものが出てくる要因になっていて、神婚神話は氏族内婚制の強固な掟が生み出したものだと吉本はいっています。この氏族内婚制の時期を乳胎児期のこころの特長と対応づけができるということです。
氏族内婚制のなかで神さまと結婚したと言い張るものが、つまり禁制を破って他の氏族の異性と関係をひそかに結ぶものが半分以上になった段階で、内婚制は崩壊して氏族外婚制の段階に入っていくということです。そしてこうした氏族共同体の特に内婚制のなかでの特長というものは近親婚の禁制がまだ半分くらいしか通用しない段階だということだと吉本は述べています。すると近親同士の性的な関係がタブーとなっていないところがあるわけで、そのことが逆に氏族内婚制を支えていたということです。この近親相姦的な傾向ということから乳胎児期との対応づけはフトイトのパラノイアの概念を軸に展開されていきます。これは「母型論」的な追及が精神病の課題のうちなにを明らかにできるかという重要なところなので、腰をすえて書いてみたいと思いますのでまた次回にさせてもらいます。ながくなってすいません。