戦後、わたしは、どんな解放感もあたえられたことはない。聖書があり、資本論があり、文学青年の多聞にもれず、ランボオとかマラルメとかいう小林秀雄からうけた知識の範囲内での薄手な傾斜があり、仏典と日本古典の影響があつた。戦争直後のこれらの彷徨の過程で、わたしのひそかな自己批判があつたとすれば、じぶんは世界認識の方法についての学に、戦争中、とりついたことがなかつたという点にあつた。おれは世界史の視野を獲るような、どんな方法も学んでこなかつたということであつた。(過去についての自註)

吉本にとっての敗戦は、こころの底から信じ込んでいたものが間違いであったと気づかされたということでした。日本の軍国主義が教え込んだ歴史や世界や現状というものが、間違いに充ちたものだと気づいた。それは宗教団体のなかで育って、まったく疑うことなく信仰のなかにいた人間が、とつぜんその宗教団体の信仰を否定する事態にぶつかったようなものです。吉本が素晴らしいのは、そういう信じ込んでいた世界が崩壊した状態で、そもそも世界認識の方法自体を学ぼうとしてこなかったと気づいたことです。日本軍国主義が崩壊しても、新たな借り物の世界認識は登場してくるわけです。たとえば戦後の民主主義とかマルクス主義とかいう形で。しかし吉本はこっちの宗教からあっちの宗教に飛び移るように思想的な転向をすることを否定して、世界認識の方法を根本的に学んでみようと決意します。この時から始まった吉本の思想的な修行、世界史とか世界認識という思想の枠組みから根底的に学ぼうという姿勢が吉本の戦後の悪戦苦闘を支えたと思います。そして晩年には世界史や世界認識という枠組み自体に新たな視点を繰り込もうというところにまで進んでいきます。それがアフリカ的段階の論議です。吉本の考察には掘り下げて考えれば、吉本自身が考え抜いた世界認識の方法にたどり着くようにできています。借り物でない吉本の自己思想ということです。それは敗戦のときから始まった長い思想的な修行の成果です。

このへんで吉本の分裂病理解の解説に移らせていただきます。「存在倫理」という晩年の吉本の思想を取り上げています。

「存在倫理」という概念はシモーヌ・ヴェイユの「匿名の領域」という晩年の思想に影響されていると思いますが、別の面から考えると吉本が親鸞について考える中でずっとこだわってきた倫理の問題の延長だともいえると思います。ヴェイユの考察の背景にキリスト教があるように、吉本の背景には親鸞をはじめとする仏教思想があります。

「超『戦争論』上」(2002アスキーコミュニケーションズ)という本のなかで吉本は「存在倫理」について語っています。そのなかで、なんで「存在倫理」という概念を持ち出して来たのかという疑問に端的に答えている部分があります。ここから入るのが一番わかりやすいように思います。

「ところで、なぜ僕がそうした「人間の『存在の倫理』」という観点を持ち出すか、そういう枠組みを設定するかといいますと、政治倫理的な枠組みや社会倫理的な枠組み、あるいは法律的な枠組みなどで物事を判断するやり方は、相対的なやり方にすぎず、脇が甘いために、たくさんの矛盾を起こしていると思うからなんです(「超『戦争論』」吉本隆明

こう述べていますが、その例として当時起こった小学校に大人が乱入して子供を視察してしまったという事件を取り上げています。当然逮捕された男は法律的に裁かれるわけですが、吉本はそれではとうてい納得できないと考えます。それで最終的な答えとはみなすことはできないということです。法律的に裁く以外では、精神異常であるということで精神異常者として扱うということがあります。動機や原因がよく分からない現代的な殺人事件が起こると、法律で裁くか、精神異常ということで片づけるか、そのいずれかとなります。しかし吉本はそれで済むとはとうてい思えないと考えます。「そういうやり方ではダメだよ」「それじゃ、甘いよ」と思うと言っています。なんで甘いと思うかというと、現在の社会倫理や法律倫理に基づく「正常」と「異常」の判断が、相対的であり、その判断に穴があるからだと吉本は述べています。ある事件があり、それを法律的に裁いたり、精神の異常だと判定する方法のなかに、ほかの判定が成り立つ面もあるというような不徹底さがあるというわけでしょう。そして不徹底でなくするためには「存在倫理」という倫理まで降りていかなくてはどうしようもないと吉本は考えます。

「存在倫理」というのは、人間が存在すること自体に倫理の根源を考えるということです。存在して以降にどのような宗教を信じたとか、どのような社会階級に所属したとか、あるいは政治的に右とか左とか、どこの国民であったとかということから始まる倫理ではなく、生物として生まれてきたというところから始まる倫理です。しかし生物一般と人間とは違うところがあります。それは吉本によれば人間は、「なぜ、自分はこの世に存在しているのか?」自分がこの世に存在しているのは、誰の責任なのか?」と自問する生物だということです。生物のなかで、ひとり人間だけが、そうした問いかけをする能力をもった生物だと述べています。

ということは「存在倫理」というのは、どこかの偉大な思想家が考えてくれて、それを輸入した学者や評論家が本にして教えてくれる、というような知的ないただきものではなく、誰もが人間という資格と能力によって考えることができるものだということになりましょう。つまりわたしも、それからあなたも。ぼーっとしてないで自分で考えてみなくてはならないわけです。「なぜ自分はこの世に存在しているのか?」「自分がこの世に存在しているのは、誰の責任なのか?」どうですか。答えがでましたか。

たとえば自分は女房子どもを守るために働くために存在してんだよ、と答えるとしましょう。それはそうかもしれませんが、それはいわば成り行き上そうなのであって、そのために存在しているといえるものではないでしょう。存在しちゃってるから、そういう成り行きになって女房がいて子供がいて働かないとしょうがない、ということでしょう。あんたはなんであんたとしてそこにいるんだよ?ということに徹底して答えようとすれば、それは偶然だよ、ということになると思います。それ以外のどんな理由も「後付け」というか、とりあえず気がついたら生きていたというか、物心がつく、といいますが、物心がつかない時代つまり自己意識が未熟な時期については理由のつけようがないでしょう。とりあえず生きていたとしかいえません。偶然、存在していた。この世界とこの時代に。こんな肉体とこんな家族のなかで。あとはその存在を続けるために、死んでしまうのは嫌だから寝たり食ったり学んだり働いたりしているうちに身についたものがあったということになりましょう。つまり学歴とか職業とか思想信仰とか家族とか、自分が作った家族とか。

この根底的な存在の偶然性は次の疑問、「自分がこの世に存在しているのは、誰の責任なのか?」を引き寄せます。責任者を出せ!ということです。

ところでこの責任問題は重要です。自分が存在していることの根拠を自己に負わせることができない、この困った事態は自分が存在していて不都合なことがあれば、その責任をだれにもっていけばいいかという問いを生ぜしめます。こんな不細工でカッコ悪いから振られてしまった。こんな顔に生んでくれと頼んだ覚えはない。なんでこんな顔に生んだんだ!とまずは自分の親に責任を求めるでしょう。しかし親だってよくみれば不細工な顔をしていたと。親だってこんな顔に生んでくれとその親に頼んだ覚えはないということになります。すると不細工な顔というものは親の親のその親というように、ずっと昔の祖先まで連綿と転移されていって、ついには生命のはじまりというところまで遡ることになるわけです。そして逆に考えれば、生命のはじまりから連綿と転移されて下ってくる存在の根拠は、今度は自分たちから自分たちの子ども、孫、ひ孫というように連綿と次世代に転移されていくということになります。不細工な顔の連鎖が。これはいったいなんなんだ?ということになります。

芹沢俊介の概念では、この事態は「イノセンス」と呼ばれるべきものです。イノセンスというのは責任がないということです。あらゆる生命は偶然存在したとしかいいようがない。そして人間だけがその偶然性について自覚できるし、自問できる。人間は自分がイノセンスであることを知っている。

倫理というのは責任をもつということでしょう。何が善であり何が悪であるか。人間の行為や意図に善悪があるなら、それを結果として引き受ける。そういうものが倫理だとすると、イノセンスの状態、責任がないという状態は倫理から隔離された状態です。生まれてこうしていることに責任はない、生んだ親や親の親が悪いんだという責任を放棄した受け身のこころの状態、根源的な受動性の心理から生存の状態を自分の責任として引き受けようとする決意へどう移っていくのかが問題になります。つまり「存在倫理」というけれども、存在すること自体の倫理は、イノセンスの状態、存在することの倫理もなにも知ったこっちゃない、そもそも存在させてくれと頼んだわけじゃないというところから例外なくはじまって、それが存在倫理を引き受ける状態になるんだということでしょう。そこにイノセンスを受け止める存在としての母親、ビーイングマザーというものがあるというのが芹沢俊介の考察でした。

存在倫理というのは人間が成育の過程のなかでつかむもので、そのつかみ方のなかに倫理の起源としての重要なものがあるはずです。そしてその根源は母型論的な追求のなかに求めるしかないものです。

ひそかに経済学や哲学の雑読をはじめたのはそれからであり、わたしは、スミスやマルクスにいたる古典経済学の主著は、戦後、数年のうちに当つている。いま、それらのうち知識としては、何も残つていないといつて過言ではない。このような考え方、このような認識方法が、世の中にはあつたのか、という驚きを除いては。(過去についての自註)

副島隆彦が述べていたことで「それだ」と思ったことがあります。日本人の評論家というのは、自分を問題の外側に置いて語るやつが多いということです。自分の立場をはっきりさせないで、問題の枠外に超然としているように語る。それを知的とか思っている。欧米人の日本人がどこが違うかというと、ある問題について自分はどういう立場をとるのか、どういう思想を信条とするのかを自らに問いかけて公表する訓練がないということです。そうとう頭のいい知識のある人でも、そういう自分がある問題についてどういう立場に立つかを自分に問うことをしない。わたしは自分でその通りだなと思いました。

そして吉本の優れたところは、ちゃんと自分の位置を明らかにして物事を語ることであり、その位置を明らかにする過程で多くの自問自答や勉強を重ねていることです。
吉本ははっきりしているんですよ。それは吉本でなくても心がければできることなんですけどね。



おまけ

ありません。

一行の詩もかけない時期に、雑多な書物を読んでは、独語をノートにかきつけた。それは、わたしの『初期ノート』の主要部を形作つている。もし、わたし以外の人物が、このノートを精読されるならば、現在のわたしの思想的原型は、すべて凝縮された形でこの中に籠められていることを知るはずである。緊張度は可成り高く、ノートのこの部分を公刊することについては、わたしは、水準についてすこしもひけ目やためらいを感じていない。(過去についての自註)

吉本が当時の詩の書き方を説明していました。まず白い紙に細い罫線を手書きで引きます。そして毎日毎日2時間ほどの時間、その紙の前に座っているわけです。それが吉本の詩の書き方です。言葉は出てくることもあるし、出てこないこともあります。一行の言葉も出てこないで、白紙のままで時間が過ぎることもあったわけでしょう。しかしそれもまた詩の時間であると思います。なぜなら出てこない言葉も言葉だと吉本は考えているからです。つまり沈黙も言葉だということです。紙の上は白紙でも、こころのなかが白紙なわけではありません。詩の言葉として凝縮され結晶される前に、胸のなかで言葉や言葉以前のもやもやしたものが渦巻いています。それがどうしても一行の詩として凝縮しない時もあるということです。

しかしその胸のなかの言葉を別の方法で書き言葉、紙の上の言葉にして出す方法もあります。それが「初期ノート」の主要部を形づくっている言葉だと吉本はいっています。だったら詩の言葉と「初期ノート」の言葉はどう違うのでしょうか。なぜ詩の言葉が出てこないのに、「初期ノート」の言葉は出てくるのでしょうか。私が考えるにはひとつにはどういう詩を書こうとしているかにもよるわけです。吉本にとって詩は社会現実を把握するということが前提としてあります。把握された社会現実に、どう吉本の内面がぶつかっているのかが詩になります。単に内面のもやもやを言葉に出すことだけの詩ではありません。それが詩としていいことがどうかは別にして、吉本はそういう詩を書こうとしていたと思います。だから社会現実が把握しきれないところでは詩の言葉が凝縮しないわけです。社会現実に対する疑問や不明がたくさんあれば、言葉はまず社会現実そのものの解明に向かっていきます。詩の言葉は凝縮しませんが、それでも白紙の前にただ座っている時間を失うまいとしています。詩は書かれませんが、詩は失われていないのだと思います。詩が出てこないという実存のあり方、沈黙の格闘も詩だからです。

このへんで吉本の分裂病理解の解説に移らせていただきます。シモーヌ・ヴェイユの思想の吉本の理解の解説の続きです。

吉本はヴェイユの「匿名の領域」という考え方につながるものとして、「存在倫理」という概念を晩年に提出しています。充分な展開をしないまま吉本は亡くなってしまいましたが、「存在倫理」という考え方には吉本の生涯の思想の重量がこもっていると思います。

「そこに『いる』ということは、『いる』ということに影響を与えるといいましょうか、生まれてそこに『いる』こと自体が、『いる』ということに対して倫理性を喚起するものなんだ。そういう意味合いの倫理」というように吉本は「存在倫理」を説明しています。これは「その人の人格ではない。それはまた、その人の人間的固有性(ヴェルソンヌ・ニメーヌ)でもない。きわめて単純に、それは、かれ、その人なのである」というヴェイユの「匿名の領域」の考え方につながるものだと思います。

そこに「いる」だけでしかありえないという状態の人がいます。植物人間のような状態になっている人を考えることもできます。また私の職業で接する深い認知症の老人もほとんど「いる」だけだと感じられます。また頭脳は損なわれていなくても、身体は動かすことができないという意味で「いる」だけだという人もいます。こうした状態の人に接すると、「いのちは大切だ」というような倫理が持ち出されます。しかしそれは表側の倫理にすぎない気がします。薄っぺらいきれいごとだから、裏側に公言できない本音の感情がこびりついてしまいます。言葉にしないとしても「こんな状態になってまで生きている意味があるんだろうか」というような疑問が湧いてくるのをどうしようもないわけです。しかしその疑問にも裏側ができて、「ほんとうにそうだろうか」というように屈折して、答えがでないわけです。

障碍者を殺してしまったという事件や、認知症の老人を殺してしまったしまったという事件が起きます。またそういう事件に対して「いのちの大切さをわかっていない」というようなコメントが流されます。しかしそれはきれいごとの表を裏にして、その裏をもういちど表に戻したというような印象しかありません。もっと屈折していく井戸の底から回答してくれるような思想はないだろうかといつも思います。

そういう回答は科学には求められないので、宗教に求めることになるんでしょう。しかし宗教は他の宗教や宗教に入ってこないものたちをどう考えるのかということが問題になります。イデオロギーもその根底は宗教的なものだという吉本の考え方になぞえれば、宗教やイデオロギーは他の宗教やイデオロギーと、あるいは宗教やイデオロギーに入ってこないものたちと争い、殺戮しあうこともあるわけです。それは今も世界中で起こっている事実です。

「いる」ということはあらゆる人間のもっている「匿名の領域」だと考えることができます。つまりあなたも私も、宗教の違い、イデオロギーの違い、あるいはそうしたことへの関心の有無というものを越えて、生まれてここに「いる」という共通性をもっています。あたりまえですけど。この「いる」という根底を切開していく思想的方法とはなんでしょうか。

芹沢俊介は「宿業の思想を超えて(「批評社」2012)という本のなかで吉本の「存在倫理」について考察しています。そのなかで「いる」ということの切開を、D.W.ウィニコットという小児精神科医の思想に求めています。それは誕生した赤ん坊と母親との関係についての考察です。ウィニコットは「ビーイング・マザー」という概念を提出しているそうです。ビーイングというのは「いる」ということになります。「ビーイング・マザー」とはだからひたすら「いる」こと、「いる」ことによって自分を差し出している存在だと芹沢は解説しています。芹沢の考察では、子供は本質的に「イノセンス」の存在です。「イノセンス」とは「責任はない」ということです。子供は誕生してきたことに対して責任がない。産んでくれと頼んで産まれてきたわけではないからです。子どもの無意識の本質にはこの自分の責任ではないのに、この世界に生まれてきたという不条理感があるという考察です。吉本は芹沢のイノセンス論をたいへん評価しています。

このイノセンスが、子供が苦しみに出会うと表出されてきて「子どもの暴力」になると芹沢は考えています。そして子供が暴力をふるう場面には、根源的に「イノセンス」の表出があるということになります。逆にいうと、子どもにとってはこの世界に自分の意思でなく生み出されたということがそもそも暴力だということになります。「子どもの暴力」はこの生まれてこさせられたという暴力に対する対抗暴力だというのが芹沢の考えです。

イノセンス」が解体されないと、子どもは自分がこの世界に存在していることを根源的に引き受けることができません。なんでこんな世界に生まれてこなきゃらなないんだ!俺の責任じゃない!という自分の命、自分の体、自分の性、自分の親といった無理やり押しつけられた生存への根源の不満が、そのことを引き受けよう、自分の責任でこの世界を生きてみようという気持ちに変わらないということでしょう。その「イノセンスの解体」の鍵になるのが、「ビーイング・マザー」の存在だということになります。

子どもは「いる」には違いないけれど、「いる」ということに肯定的な無意識をもつことができない。なぜなら子どもは勝手に産み落とされた「イノセンス」の存在だからです。「いる」こと、つまり自分の存在があることを肯定的に受け止めるには、自分が「いる」ことを丸ごと受けとめる存在が必要です。それが母親だということになります。芹沢によれば母親とは子供に自己を差し出す存在です。差し出すという姿勢があるから子どものイノセンスの表出を受け止めることができると芹沢は述べています。

子どもは母親から受け止められることで初めて、この世界に対する信頼が生まれます。胎児期・乳児期において受けとめ手としての母親は最初子どもと一体になった環境そのものです。この環境には母親という他者性が含まれています。そして受けとめれたという体験は、繰り返されればされるほど受けとめ手に対する信頼を生み、この信頼を通して子どもの内部に環境(世界の原型)と他者(他者の原型)が組み込まれると芹沢は述べています。

芹沢は吉本の「存在倫理」を理解するために、胎児期・乳幼児期における母子関係を取り上げているわけです。重要なのは「イノセンス」を抱えて生まれてきた子どもにとって「母親」あるいは母親の代わりを果たすものがいなければイノセンスを解体し、自分の存在を肯定することができないということです。そして「ビーイング・マザー」でありうる母親に繰り返し受け止められて自己肯定できるようになった子供にはこの世界の環境と他者の存在が信頼によって受け止められるということになりましょう。

逆にいえば、他者への肯定性、また環境への肯定性が損なわれることがあるのは何故かというと、ひとつは母子関係がなんらかの理由で損なわれている場合です。もうひとつは自分の外部にある「環境と他者」があまりにも不信と敵意に充ちたものであるときだと芹沢は述べています。現在の社会は、母子関係としても外部の社会現実としても肯定性が損なわれている状況だといえましょう。吉本はその状況に対して、存在すること自体にほんらい内在しているはずの倫理性を「存在倫理」として思想化してみせたと芹沢は解釈しています。

母親という生身の人間が、受け止め手として不可欠であり、成長して出会うこの世界の他人や状況がどんなに過酷なものであれ、生身の母親との関係で作られた信頼による「他者と環境の原型」が倫理の根底にある、という思想といえましょう。「生身の母親」次第だという危なっかしさが一種の衝撃を与えます。しかしそれがゆえに、この考察の価値もあると私には思えます。

ただ、おまえの愛惜する著作をあげろといわれれば、ためらいなくここに収録されたものを最上のものの一つとして自薦するだろう。すくなくとも、わたしの「書く」ものに関心をいだいている少数のひとびとは、ここに収録された断簡のもつ意味を愛惜することができるはずである。なぜならば、わたし自身がかけ値なしにそれを愛惜しているからである。(過去についての自註)

ここまできっぱりと自分の初期のノートの文章についていえるということは大したもんだと思います。とても自分にはいえないなと思います。どうですかあなたは。

ではよいお年を。



おまけ

「だが動くものとしての現実はあくまでも詩的なものだ。また逆に詩的なものこそが現実的なものだ。この確信がかれ(谷川雁のこと)にしか歩めない微妙な軌跡をこしらえていった。それは彼の詩作品といっしょに不朽のものだと思う」

吉本隆明「詩人的だった方法」信濃毎日新聞1995)より

○科学は力である。それは大自然を抽出して来て人間のいとなむ社会生活に適合調和せしめやうとする力である 真実を行く知性も、透明な理性も、妙味のある悟性も、それとは相背馳せざるを得ない力である 宗教が人間性を挙げて大自然のふところに還らうとする点に於て、それは全く反対の方向に動いて行く力である (〔科学者への道〕)

この科学と宗教ともうひとつあげれば文学とが、吉本の深く探求したもので、そして探求すればするほど別々の方向に自分を連れていくことを感じるのでしょう。そしてそれらを統合する方法を構想していくようになります。シモーヌ・ヴェイユについての吉本の考察は、ヴェイユが宗教と信仰のない者たちの世界とをつなぐ部分に多くの関心が向けられています。親鸞についてもそうですし、「マチウ書試論」などで述べられた聖書の理解についても同様です。宗教者が信仰なき者たちをどう考えていたか、宗教と非宗教をどうつなげていたかというところです。

このまま吉本の分裂病理解のためのヴェイユ理解の解説の続きに入りますが、ヴェイユの言葉はホンモノの凄みがあり、こころを撃つものですが、逆にいうと信仰をもっていない者には入っていけない深い穴のなかで言われている言葉といえます。しかし吉本がとりあげている晩年のヴェイユの思想のなかに、信仰なき者にも届いてくる言葉があります。それが解説してきた「匿名の領域」についての言葉です。

「人間だれでも、なんらかの聖なるものがある。しかし、それはその人の人格ではない。それはまた、その人の人間的固有性(ヴェルソンヌ・ニメーヌ)でもない。きわめて単純に、それは、かれ、その人なのである。(ヴェイユ「人格と聖なるもの」)

この言葉は親鸞の「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや (親鸞歎異抄」)」という言葉とともに吉本に深い考察を強いています。それはこうした言葉が信仰と信仰なき者とをつなぐ力をもっているからです。つまり普遍思想といっていいような宗教思想と科学や文学のような非宗教的な思想を包括できる思想につながっているからです。

ヴェイユはなぜ「匿名の領域」のような考察に至ったのでしょうか。ヴェイユの無意識には乳幼児期、おそらく胎児期にも、頭痛に苦しみながら妊娠、出産、授乳をしてきた母親からの突然の授乳の切断の体験が潜んでいます。だからヴェイユは苦痛を介してでなくては宇宙的な母である神に出会えないと感じてしまいます。しかも母であり神である性的な存在にはヴェイユの自力では到達できない。苦痛の極みで母であり神である存在のほうから一方的に突然にやってきて、充分な交感もしえないうちに消失してしまう。母であり神である存在のうちに、なにかあたたかい愛情や真実や正しいものが予感されるけれども、どうしても自分にはそれに触れることができない。

なぜできないのか。それは自分が悪いからだと感じてしまう。母親から冷たくされる幼児の自分が悪い子だからだと感じるように、大秀才のヴェイユ、成人したヴェイユも、自分がけがれた卑小な存在だから母であり神である存在の内奥にある善に到達できないと考える。自分が存在し、息をしているだけでも、神の作った清浄な世界を穢しているというふうに感じてしまう。

ここで考えが止まれば、ヴェイユは自己肯定感を持てない、罪悪感に苛まれる鬱病者としてとどまることになったでしょう。しかしヴェイユの強靭な思考力は苦痛と鬱の闇のなかで宗教的な思考の枠を超えて広がろうとしたと思います。神の作ったこの世界は聖なるものに違いない。しかし自分が存在することはその聖なる世界を穢すものでしかないと感じる。自分にも他の人びとにも信仰あるものにも信仰なきものにも、神の被造物であるがゆえに聖なるものがあるはずだ。だとすれば、人間が言葉を獲得し言葉を駆使して文明を作り、あまたの偉大な芸術家や科学者を生み出して文明を進めてきたこととは別個に、人間の聖なる本質は言葉を獲得する以前のどこかに存在して、それは現在を生きるあらゆる人のなかにいつも存在するのではないか。

ヴェイユの考えはそのようにして母型論的な考察に、別の方向から近づいていったんじゃないかと私には思えます。それは授乳障害という不幸な乳幼児期の生い立ちのさらに以前にある、人間が母体から生み出されるそのことのなかに、あるいは胎内に人間として形成されたそのことのなかにある本質です。それは「命は尊い」とかいう言われ方と同じようなことになりますが、そんな俗っぽいセンチメンタルな言葉ではなく、ヴェイユはあるいは吉本は、あらゆる世界思想を向こうにまわして普遍思想として存立できる凄みをもつものとして考察しているわけですよ。

吉本はヴェイユの「匿名の領域」の考察に深く影響を受けて、「存在倫理」という概念を提出しています。吉本が存在倫理という概念を初めて提出したのは、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターにハイジャックされた航空機が乗客を乗せたまま体当たりした自爆攻撃の事件、いわゆる「9.11」といわれる事件の考察においてです。吉本は「群像」という文芸誌の2002年1月号の批評家加藤典洋との対談(「存在倫理について」)で次のように存在倫理という概念を説明しました。

「結局、こういうのを設定する以外にないんじゃないかとぼくがおもえるのは、社会倫理でもいいし、個人倫理でもいいし、国家的なものの倫理でも、民族的な倫理でもなんでもいいんですけれども、そういうもののほかに、人間が存在すること自体が倫理を喚起するものなんだよ、という意味合いの倫理、『存在倫理』という言葉を使うとすれば、そういうものがまた全然別個にあるとかんがえます。それを考慮しないと、この手前味噌な言い方とやり方は理解できないんじゃないかという感じ方になっちゃうのです。『存在倫理』という設定の仕方をすると、つまり、そこに『いる』ということは、『いる』ということに影響を与えるといいましょうか、生まれてそこに『いる』こと自体が、『いる』ということに対して倫理性を喚起するものなんだ。そういう意味合いの倫理を設定すると、両者に対する具体的な批判みたいなものができる気がします。そういう意味合いの論理を設定しないとダメなんじゃないか(存在倫理について「群像」1002.1)

ここで吉本が「両者に対する具体的な批判」といっている両者とは、9.11を引き起こしたとされたイスラム原理主義と、攻撃されたアメリカのブッシュ政権のことを指しています。

ところで9.11の事件については、ブッシュが報復攻撃の対象としたオサマ・ビンラディンと、ビンラディンをかくまっているとしたアフガニスタンタリバン政権、さらにサダム・フセインイラクアメリカを攻撃したのではなく、真相はアメリカのブッシュ政権の自作自演であるといういわゆる陰謀論が存在します。そして私は、この自作自演であるという陰謀論に根拠があると考えています。

しかし、9.11の真相がどうであれ、吉本の提出した「存在倫理」の意味の重要さは損なわれることはないと思います。吉本は「社会倫理でもいいし、個人倫理でもいいし、国家的なものの倫理でも、民族的な倫理でもなんでもいいんですけれども、そういうもののほかに」と言っているように、現在の思想、倫理として存在しているあらゆるものを向こうにまわして、普遍倫理、普遍思想の入口として「存在倫理」という概念を提出しています。これはヴェイユの「匿名の領域」の考察と深い関連をもつ考察であることは間違いないと思います。

「存在倫理」については芹沢俊介が「宿業の思想を超えて(2012批評社)」という本で取り上げています。それを解説してもいいんですが、今回は私自身の感想を書いてお茶を濁そうと思います。「存在倫理」という概念を普遍思想の入口とみなすということは、「母型論」的な考察、胎児期、乳幼児期の人間という言葉以前の人間のあり方を、歴史の初源の問題とつなげて、宗教と思想とのあいだに橋をかけようとするものだと思います。

ヴェイユの「その人の人格ではない。それはまた、その人の人間的固有性(ヴェルソンヌ・ニメーヌ)でもない。きわめて単純に、それは、かれ、その人なのである」という考え方は、西洋ではどうか知りませんが、東洋思想としては日本人の私たちにはなじみのある考え方のような気がします。たとえば「禅」というものがありますが、私も若いころに体験したんですが、人格とか個性というようなものを、ただ座ることによって振り落としていくもののように思います。言葉でできている人間から、言葉を離れてみる訓練、というか。言葉とともに人格とか個性といわれているものも、こそげ落ちるという感じ。人間のなかに動物的なものも、植物的なものも、無機物的なものもみんなあるという吉本の考察にしたがえば、動物的なものが眠り込んで、植物的な器官だけでそこにいる、という状態が禅の修行で、さらに植物的なものも消失すれば無機物に近いものとしてそこにあるというようになる。それを感得することを「悟る」といっているような気がします。

吉本は「存在倫理」について多くを述べる前に亡くなりました。しかしきっとここには吉本思想の最後の思想としての量感がこもっていると私には感じられます。「存在倫理」というものが普遍倫理として影響力を発揮するためには、言葉でできあがっているあらゆる世界思想の領域が、言葉以前の世界と宗教的な方法ではなく、思想的な方法でつなげられる必要があるはずです。それは「母型論」の試みた方法でしょう。その展開が具体的な精神の病気とか、政治経済の現状の理解とかにどうつながっていくかは興味深いところです。吉本はその構想を豊富に抱いたまま亡くなっていったように思えます。

○アインスタインの相対性原理はアインスタインの人間性をはなれて存在し得るのである 彼がユダヤ主義的な自由主義を抱いてゐても、アメリカ政府の先棒をかついで対日経済絶交を叫んでも、相対性原理は存在するのである 即ち相対性原理はアインスタイン以外の人によつて同様に称へられてもよい性質のものである 科学はかかるものである (〔科学者への道〕)

昔はアインスタインと言ったんですね。アインシュタインを例に、科学の発見者を越えた普遍性のことを言っています。吉本が自分の思想の先に見ていたものも、こうした普遍性だと思います。吉本という探求者、発見者は万人の思想の方法のなかに普遍性として沁みとおり、そして忘れられていってよいものです。

おまけ
ありません。

抑圧に加へるに抑圧。僕の脳細胞が破壊すれば、僕はそれを勝利と呼ばざるを得ない。(原理の照明)

これはそんなに解説することがないですね。限界まで考え抜こうということです。限界を極端に想定すれば脳細胞が壊れるまで、ということで、そこまでやれば勝利といったっていいんだという若者らしいことが述べられています。

実際はよく考える人より、考えない人、あるいは同じことばかり感情にまかせて堂々巡りで辿っている人のほうが先に脳細胞が壊れるというか衰退してボケるような気がします。これは理屈ではなくて介護の仕事からの実感です。考えるということは、身体にも影響を与えます。

今日は時間もないのでこんなところで吉本の分裂病の解説に移らせていただきます。
シモーヌ・ヴェイユについての吉本の考え方を解説しています。

前回書きましたように、ヴェイユの乳幼児期について吉本が触れているところがあります。ただヴェイユの乳幼児期についての研究が吉本の知る範囲で少ないんですね。だから十分なことがわからない状態です。

わかっている範囲でいうと、ヴェイユが生後6カ月ごろ母親が虫垂炎(盲腸炎)の発作を起こして、以後授乳が十分にできなくなります。そしてヴェイユの祖母が生後11か月目に離乳させます。するとヴェイユはすぐに重い病気にかかります。診断は母親と同じ虫垂炎(盲腸炎)の発作が原因とされました。その病気のあと、ヴェイユは痩せたままで大きくもならず歩くこともしなかったそうです。生後16か月目では、哺乳ビンしか口にせず、それ以外の食べ方(サジ)では受けつけず衰弱しました。哺乳ビンに大きな穴をあけて、食べることはすべて哺乳ビンを通して行われました。22カ月目まで病気だったということです。その後、2歳の時にアデノイド(咽頭扁桃)にかかります。また3歳半のときに、激しい虫垂炎(盲腸炎)の発作を起こします。この後虫垂炎の手術をしますが、回復はおそく、医師は回復不可能と考えていたということです。

これはヴェイユの伝記(シモーヌ・ベルトマン「詳伝シモーヌ・ヴェイユ」)から吉本が引用しているものです。つまり母親が虫垂炎になり、ヴェイユは生後6カ月で授乳障害になったということです。母型論での吉本の考察によれば、この時期に授乳障害を受けたことは、母親との授乳―吸乳関係を介しての生命維持とこころの複合の体験とその発達の突然の切断という意味をもっています。

そして母親が虫垂炎の痛み(苦痛)に耐えながら授乳したことが、吸乳していたヴェイユに痛み(苦痛)の身体反応(反射)を感受性のなかに伝達した、と吉本は述べています。

ヴェイユの思想は「痛み(苦痛)の神学」と呼んでもいいほど、頭痛の苦痛や労働の苦痛にこだわって神の存在を考察しています。苦痛というものは存在論的だと吉本はいっています。存在論的だということは身体的な苦痛だけが苦痛ではない、精神的な無意識的なところに原因があって身体的な苦痛が引き起こされることもあるということだと思います。ヴェイユは生涯頭痛に苦しみ、その頭痛の原因は竇炎(鼻腔炎)であるという説がありますが、それは身体的な原因のみであって、ヴェイユの苦痛にはもっと存在論的な淵源があると吉本はみなしているわけです。

吉本は幼児や少年や、逆に老年は、しばしばどこかに欠如や願望があって、それが生理に対応できる心の限界をこえると、痛み(苦痛)をうったえることで、近親や親和するひとたちの注意をひきつけようとする、と述べています。その欠如や願望が存在論的だという意味になります。吉本はヴェイユの頭痛のはげしさには、かならずやこの問題がかかわっていたとおもえると断言しています。

するとどういうことになるのでしょうか。ヴェイユ虫垂炎の苦痛を感じながらおっぱいをあげている母親から、苦痛の感受性を刷り込まれている。つまり内コミュニケーションによって母親の苦痛を避けようもなく受け取っているわけです。ということはおそらく胎児期においても母親から苦痛の感受性を受け取っている可能性が大きいとみなされます。そしてその内コミュニケーションは生後6カ月で突然切断されます。その後乳幼児期のヴェイユは衰弱し、病気がちになりました。

この乳幼児期、あるいは胎児期を含むヴェイユの成育歴を、ヴェイユの神学と照らし合わせて短絡的に考えると、ヴェイユにとっての神、けして意識や論理によっては到達できず、人間の営みのはるか外側に存在していて触れることができない神、自分が息をしているだけで、神の作った世界を穢すとまで考えている絶望的な彼方にいる神、そして唯一激しい苦痛を介してだけ神のほうから降りてくることがありうる。それをヴェイユは見神体験、触神体験として確かに体験したと確信しています。そういうヴェイユの神は、短絡的に考えればその神は母親じゃないか、と考えられます。現実の母親ではなく、乳幼児期、胎児期の全宇宙が母であった時期の、ひとりの人格をもった他者と認識される以前の、全宇宙としての母親です。つまりそれが神じゃないかと考えたくなりますよね。どうですか。

しかしそれはやはり短絡的にすぎるよなと反省します。それじゃ決定論だから。つまりヴェイユのように育てば、みんなヴェイユのような思想をもつわけじゃないわけです。つまりそれじゃ一般論にすぎるということです。それではヴェイユの意味も、神という概念の意味も短絡的になってしまいます。

しかしそれでも、吉本がいうように「それでもヴェイユの欠如と願望の全体性の像(イメージ)が、この乳幼児体験で第一次的な輪郭をつくったことは、疑うことはできないとおもえる。(「蘇えるヴェイユ」)」ということは重要です。それが母型論がヴェイユの問題に加えたおおきな手掛かりです。

ヴェイユの神の特徴について、吉本が指摘していることにヴェイユの神は異性の身体をもっておりてくるということがあります。抽象的な神でなく、性としての男性の神がヴェイユに触れたり、幻想的な体験としてアパートで共に暮らしたりします。ヴェイユは非常にすぐれた社会分析、政治分析ができる研究者です。ヴェイユがドイツ問題のような社会・政治分析に没頭しているときには、そこには直接には神は登場しません。共同社会の問題に絶望し、そこから撤退した時に、神の問題がヴェイユの最大の関心事になっていきます。吉本の幻想論でいえば、共同幻想の問題から退いたときに、性の領域つまり対幻想の領域のなかから神がやってくるようにみえます。

神、あるいは宗教というものはどういうものなんでしょうか。神は自己意識が無限大に拡大されたものを自己意識の外側にある存在とみなしたものだ、というヘーゲルマルクスの考察した神は、性としての神ではないように思います。神というものは、自己幻想の領域からも遥か彼方に存在するようにみなされ、性としての欠如や願望からも降臨するようなありかたもするし、共同幻想そのものに憑くこともある。神とか宗教というものは、人間がとりうるあらゆる幻想性のすべてをおおうように存在するといえるような気がします。どこへ意識が逃れても神はいる。だから信仰のなかに入ったら、その外側に出ることはきわめて難しいことになるんでしょう。

ヴェイユについて吉本が取り上げている「匿名の領域」というものがとても気になります。

ヴェイユは、科学・芸術・文学・哲学といった人間の最高の所産だとみなされてきたものの彼方に、それとは深淵をもってへだてられたもうひとつの別の領域があると述べています。そこには第一級のものがおかれている、それらのものは、本質的に名をもたないとヴェイユはいっています。つまりその領域が「匿名の領域」です。その領域には人間がいるわけです。優れた人たちがいるというのではなく、いわばあらゆる人間がいる領域なんだと思いますが、その「人間」に対する概念が問題です。

「人間だれでも、なんらかの聖なるものがある。しかし、それはその人の人格ではない。それはまた、その人の人間的固有性(ヴェルソンヌ・ニメーヌ)でもない。きわめて単純に、それは、かれ、その人なのである。(ヴェイユ「人格と聖なるもの」)

これはどういうことでしょうか。ヴェイユには神は人間がかかわる世界の絶対的な外側に存在するとしか思えなかった。母型論的に推察すれば、母は苦痛をまず伝えてきて、苦痛を介さなければ内コミュニケーションはとれなかった。苦痛だけが母からの伝達で、逆にいえば苦痛を介してしか母に到達できないと無意識に刷り込まれた。苦痛の彼方に「愛」とか「善」とか「真理」というような良きものがありそうだったが、それを十分に受け取る前に内コミュニケーションは突然切断された。母の内奥にあるはずのあたたかいものは、とうとう体のなかに入らなかった。それはいつもどこかどんな人間的な能力を発揮しても到達できない外側にあるとみなされた。

だとしたらその宇宙的な母であり神である領域にあるものは、人間的な倫理の規模よりもはるかに大規模な倫理、つまり善・真理・義であるはずだ。そのような人間的な規模を越えた大規模な存在である倫理的な神が、創り給うた人間もまた聖なるものでなくてはならない。しかし人間はどのように人間的な能力を発揮しても、一流の芸術や科学を生み出しても聖なるものに到達できない。しかし聖なるもの、大規模な倫理の基盤になるものはあるはずだ、ということで「かれ、その人」という「匿名の領域」の概念は追求されていると思います。

吉本はこのヴェイユの最後の思想に深甚な影響を受け、自身の最後の思想である「存在倫理」という概念を晩年に提出しました。時間がないので駆け足ですいませんが、「存在倫理」の解説はまた次回で、というより来年で。みなさま良いお年をお迎えください。