ひそかに経済学や哲学の雑読をはじめたのはそれからであり、わたしは、スミスやマルクスにいたる古典経済学の主著は、戦後、数年のうちに当つている。いま、それらのうち知識としては、何も残つていないといつて過言ではない。このような考え方、このような認識方法が、世の中にはあつたのか、という驚きを除いては。(過去についての自註)

副島隆彦が述べていたことで「それだ」と思ったことがあります。日本人の評論家というのは、自分を問題の外側に置いて語るやつが多いということです。自分の立場をはっきりさせないで、問題の枠外に超然としているように語る。それを知的とか思っている。欧米人の日本人がどこが違うかというと、ある問題について自分はどういう立場をとるのか、どういう思想を信条とするのかを自らに問いかけて公表する訓練がないということです。そうとう頭のいい知識のある人でも、そういう自分がある問題についてどういう立場に立つかを自分に問うことをしない。わたしは自分でその通りだなと思いました。

そして吉本の優れたところは、ちゃんと自分の位置を明らかにして物事を語ることであり、その位置を明らかにする過程で多くの自問自答や勉強を重ねていることです。
吉本ははっきりしているんですよ。それは吉本でなくても心がければできることなんですけどね。



おまけ

ありません。