戦後、わたしは、どんな解放感もあたえられたことはない。聖書があり、資本論があり、文学青年の多聞にもれず、ランボオとかマラルメとかいう小林秀雄からうけた知識の範囲内での薄手な傾斜があり、仏典と日本古典の影響があつた。戦争直後のこれらの彷徨の過程で、わたしのひそかな自己批判があつたとすれば、じぶんは世界認識の方法についての学に、戦争中、とりついたことがなかつたという点にあつた。おれは世界史の視野を獲るような、どんな方法も学んでこなかつたということであつた。(過去についての自註)

吉本にとっての敗戦は、こころの底から信じ込んでいたものが間違いであったと気づかされたということでした。日本の軍国主義が教え込んだ歴史や世界や現状というものが、間違いに充ちたものだと気づいた。それは宗教団体のなかで育って、まったく疑うことなく信仰のなかにいた人間が、とつぜんその宗教団体の信仰を否定する事態にぶつかったようなものです。吉本が素晴らしいのは、そういう信じ込んでいた世界が崩壊した状態で、そもそも世界認識の方法自体を学ぼうとしてこなかったと気づいたことです。日本軍国主義が崩壊しても、新たな借り物の世界認識は登場してくるわけです。たとえば戦後の民主主義とかマルクス主義とかいう形で。しかし吉本はこっちの宗教からあっちの宗教に飛び移るように思想的な転向をすることを否定して、世界認識の方法を根本的に学んでみようと決意します。この時から始まった吉本の思想的な修行、世界史とか世界認識という思想の枠組みから根底的に学ぼうという姿勢が吉本の戦後の悪戦苦闘を支えたと思います。そして晩年には世界史や世界認識という枠組み自体に新たな視点を繰り込もうというところにまで進んでいきます。それがアフリカ的段階の論議です。吉本の考察には掘り下げて考えれば、吉本自身が考え抜いた世界認識の方法にたどり着くようにできています。借り物でない吉本の自己思想ということです。それは敗戦のときから始まった長い思想的な修行の成果です。

このへんで吉本の分裂病理解の解説に移らせていただきます。「存在倫理」という晩年の吉本の思想を取り上げています。

「存在倫理」という概念はシモーヌ・ヴェイユの「匿名の領域」という晩年の思想に影響されていると思いますが、別の面から考えると吉本が親鸞について考える中でずっとこだわってきた倫理の問題の延長だともいえると思います。ヴェイユの考察の背景にキリスト教があるように、吉本の背景には親鸞をはじめとする仏教思想があります。

「超『戦争論』上」(2002アスキーコミュニケーションズ)という本のなかで吉本は「存在倫理」について語っています。そのなかで、なんで「存在倫理」という概念を持ち出して来たのかという疑問に端的に答えている部分があります。ここから入るのが一番わかりやすいように思います。

「ところで、なぜ僕がそうした「人間の『存在の倫理』」という観点を持ち出すか、そういう枠組みを設定するかといいますと、政治倫理的な枠組みや社会倫理的な枠組み、あるいは法律的な枠組みなどで物事を判断するやり方は、相対的なやり方にすぎず、脇が甘いために、たくさんの矛盾を起こしていると思うからなんです(「超『戦争論』」吉本隆明

こう述べていますが、その例として当時起こった小学校に大人が乱入して子供を視察してしまったという事件を取り上げています。当然逮捕された男は法律的に裁かれるわけですが、吉本はそれではとうてい納得できないと考えます。それで最終的な答えとはみなすことはできないということです。法律的に裁く以外では、精神異常であるということで精神異常者として扱うということがあります。動機や原因がよく分からない現代的な殺人事件が起こると、法律で裁くか、精神異常ということで片づけるか、そのいずれかとなります。しかし吉本はそれで済むとはとうてい思えないと考えます。「そういうやり方ではダメだよ」「それじゃ、甘いよ」と思うと言っています。なんで甘いと思うかというと、現在の社会倫理や法律倫理に基づく「正常」と「異常」の判断が、相対的であり、その判断に穴があるからだと吉本は述べています。ある事件があり、それを法律的に裁いたり、精神の異常だと判定する方法のなかに、ほかの判定が成り立つ面もあるというような不徹底さがあるというわけでしょう。そして不徹底でなくするためには「存在倫理」という倫理まで降りていかなくてはどうしようもないと吉本は考えます。

「存在倫理」というのは、人間が存在すること自体に倫理の根源を考えるということです。存在して以降にどのような宗教を信じたとか、どのような社会階級に所属したとか、あるいは政治的に右とか左とか、どこの国民であったとかということから始まる倫理ではなく、生物として生まれてきたというところから始まる倫理です。しかし生物一般と人間とは違うところがあります。それは吉本によれば人間は、「なぜ、自分はこの世に存在しているのか?」自分がこの世に存在しているのは、誰の責任なのか?」と自問する生物だということです。生物のなかで、ひとり人間だけが、そうした問いかけをする能力をもった生物だと述べています。

ということは「存在倫理」というのは、どこかの偉大な思想家が考えてくれて、それを輸入した学者や評論家が本にして教えてくれる、というような知的ないただきものではなく、誰もが人間という資格と能力によって考えることができるものだということになりましょう。つまりわたしも、それからあなたも。ぼーっとしてないで自分で考えてみなくてはならないわけです。「なぜ自分はこの世に存在しているのか?」「自分がこの世に存在しているのは、誰の責任なのか?」どうですか。答えがでましたか。

たとえば自分は女房子どもを守るために働くために存在してんだよ、と答えるとしましょう。それはそうかもしれませんが、それはいわば成り行き上そうなのであって、そのために存在しているといえるものではないでしょう。存在しちゃってるから、そういう成り行きになって女房がいて子供がいて働かないとしょうがない、ということでしょう。あんたはなんであんたとしてそこにいるんだよ?ということに徹底して答えようとすれば、それは偶然だよ、ということになると思います。それ以外のどんな理由も「後付け」というか、とりあえず気がついたら生きていたというか、物心がつく、といいますが、物心がつかない時代つまり自己意識が未熟な時期については理由のつけようがないでしょう。とりあえず生きていたとしかいえません。偶然、存在していた。この世界とこの時代に。こんな肉体とこんな家族のなかで。あとはその存在を続けるために、死んでしまうのは嫌だから寝たり食ったり学んだり働いたりしているうちに身についたものがあったということになりましょう。つまり学歴とか職業とか思想信仰とか家族とか、自分が作った家族とか。

この根底的な存在の偶然性は次の疑問、「自分がこの世に存在しているのは、誰の責任なのか?」を引き寄せます。責任者を出せ!ということです。

ところでこの責任問題は重要です。自分が存在していることの根拠を自己に負わせることができない、この困った事態は自分が存在していて不都合なことがあれば、その責任をだれにもっていけばいいかという問いを生ぜしめます。こんな不細工でカッコ悪いから振られてしまった。こんな顔に生んでくれと頼んだ覚えはない。なんでこんな顔に生んだんだ!とまずは自分の親に責任を求めるでしょう。しかし親だってよくみれば不細工な顔をしていたと。親だってこんな顔に生んでくれとその親に頼んだ覚えはないということになります。すると不細工な顔というものは親の親のその親というように、ずっと昔の祖先まで連綿と転移されていって、ついには生命のはじまりというところまで遡ることになるわけです。そして逆に考えれば、生命のはじまりから連綿と転移されて下ってくる存在の根拠は、今度は自分たちから自分たちの子ども、孫、ひ孫というように連綿と次世代に転移されていくということになります。不細工な顔の連鎖が。これはいったいなんなんだ?ということになります。

芹沢俊介の概念では、この事態は「イノセンス」と呼ばれるべきものです。イノセンスというのは責任がないということです。あらゆる生命は偶然存在したとしかいいようがない。そして人間だけがその偶然性について自覚できるし、自問できる。人間は自分がイノセンスであることを知っている。

倫理というのは責任をもつということでしょう。何が善であり何が悪であるか。人間の行為や意図に善悪があるなら、それを結果として引き受ける。そういうものが倫理だとすると、イノセンスの状態、責任がないという状態は倫理から隔離された状態です。生まれてこうしていることに責任はない、生んだ親や親の親が悪いんだという責任を放棄した受け身のこころの状態、根源的な受動性の心理から生存の状態を自分の責任として引き受けようとする決意へどう移っていくのかが問題になります。つまり「存在倫理」というけれども、存在すること自体の倫理は、イノセンスの状態、存在することの倫理もなにも知ったこっちゃない、そもそも存在させてくれと頼んだわけじゃないというところから例外なくはじまって、それが存在倫理を引き受ける状態になるんだということでしょう。そこにイノセンスを受け止める存在としての母親、ビーイングマザーというものがあるというのが芹沢俊介の考察でした。

存在倫理というのは人間が成育の過程のなかでつかむもので、そのつかみ方のなかに倫理の起源としての重要なものがあるはずです。そしてその根源は母型論的な追求のなかに求めるしかないものです。